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朝が来るまで君をさがしている


 しおと私は同期入社だった。
 片や花形部署である本社の企画室、片や平々凡々な営業所の営業事務という月とスッポンな私達だったけれど意外に気が合って、社員研修の終わる9月には学生時代からの親友のように仲良くなっていた。
 その後の配属ですっかり疎遠にはなったけれど、同期で集まる時には必ずお互い顔を出して離れている時間を感じさせないくらいいつも自然に隣にいた。
 入社から十年、何かあると私はいつも汐を呼び出していた。
 汐は忙しい身なのに文句も言わず時間を作って私に付き合ってくれた。
 頻繁ではないけれど、年に数回、少ない時は年に一回、私達は会って時が経つのも忘れて話し込んでいた。そしてどうしても離れ難くて、汐を家に連れ込んだり汐の家に押しかけたりした。


「おまたせ」
 土曜日だというのにスーツで現れた汐に申し訳ない気持ちで一杯になる。
「え、なに、今日出勤だったの??」
 汐は相変わらずの美貌でにこりと頷いた。スーツは紫陽花みたいな紫がかった薄い青の麻で出来た素材で染めムラがとてもお洒落だ。ただそのお洒落具合が微妙に紙一重で汐じゃなければ変なおばさんに見えただろう。汐の服装はたいてい汐じゃなければちょっとどうなんだろうという個性的なものだった。
「月曜の早朝から海外事業部にシアトルからお客様が来るのよ。それで慌てて資料作成。もう出来上がったから大丈夫よ。明日も出勤かと冷や冷やしたわ」
 バーのカウンターで汐を待っていた私は半個室のように間仕切りのあるテーブル席へ汐と一緒に移った。込み入った話はカウンター席ではし辛いから。
 テーブルに着いて頼んだつまみとカクテルが出されると汐はアーモンド型の大きな瞳を私に向けて、眼差しで私を促した。
「ごめん、忙しいのにいつも……」
 私は思わず目を伏せて謝罪した。
「失恋の度につき合わせてほんとにごめん……」
「そっか、最近誘いが無いから良い感じかと思ってたけど、駄目だったんだ?」
 私が黙って頷くと、汐はバックからシガレットケースを取り出して私に許可を求めた。綺麗に整えられて飾られた爪が優雅に動いて薄い艶消しのシガレットケースから煙草を一本摘み出す。ゆっくりとした動作でツヤツヤした唇に煙草が咥えられ、カチッと音がして先端にライターの火がともる。
 ゆっくりと深く吸い込む。私から顔を逸らして自分の肩に向け、ため息のように長く唇から白い煙を吐き出すと、汐は本格的に“聞き”の体制に入った。
 それから私は今回の恋のすべてを長々と汐にぶちまけた。それは多分聞いていて楽しいものじゃなかったと思う。それでも汐は時々相槌をうちながら私がすべてを吐き出し終わるまで黙って聞き続けてくれた。
 いつも唐突に始まって唐突に終わる、私の恋。
 唐突に切り出された別れと、相手の不誠実さをなじる呪詛と――今回は二股だった!!――なのにそれでもまだ相手に気持ちを残している自分の未練がましさと。そんな風にぐちゃぐちゃな自分をさらけ出して飲んで、泣いて、嗤って。
 汐は静かに杯を傾けながら私の話を聞いてくれた。
「もっと鼻が高くて、目が大きくてパッチリしてて睫毛が長くて、色白で胸が大きくて痩せてれば良かったのに。どうして私はこんなんなんだろう……」
「髪の毛だって収拾のつかない天パで、梅雨だとわかめみたいに増えてボサボサだし……」
 私が愚痴愚痴モードに入るとふと汐の顔つきが険しくなった。
「ちょっと、愚痴はいいけど自分の事を否定するのは聞きたくないんだけど。
 そんなの否定したって変わるわけじゃないでしょ? ありのままの自分を受け入れて生きるしかないじゃない」
 汐の言葉にいささかむっとしながら、
「汐みたいに美人で頭もよくて誰もが羨むようなプロポーションの人には私の気持ちなんか判らないわよ!!」
 私は思わず叫んでいた。
 そう、汐みたいになりたかった。
 汐は私の理想の女性だ。
 見た目や頭だけじゃなくて懐まで深い。多分そうそうはいない特別なタイプだ。まるでスポットライトが当たっているような汐の存在と人生に私はずっとずっと憧れて、そして苦しいくらいに嫉妬していた。
「――あのね。そりゃ、マヒロの気持ちはマヒロにしか判らないわよ」
 汐は手にしていた煙草を灰皿に押し付けてもみ消すと、深々とため息をついて肩を竦め、私の言葉に同意した。
「でも、私の気持ちも私にしか判らないのよ。
 ちょっとそっけなく対応すれば“美人だからってお高くとまって”とか言われて、なんだかセクハラ受けてきっぱり断れば“アバズレがいい気になるな”とか誤解されて、全身高級ブランドで身をかためれば“どこぞの男に貢がせてる”だとか“役員の愛人をしている”だとか言われるのよ。そういうのって羨ましい??」
 長い睫毛に縁取られた綺麗なアーモンド型の目が苦笑に細められる。
「普通にね、胸とかお尻とか触られるわよ。なんていうの? 挨拶??
 同僚だってザマーミロって顔で影で笑ってるわ。そういうのあんまり楽しくないけど」
「えええっ! それ、もの凄いセクハラじゃない!」
「うん、私もそう思うけど。誘発する私もいけないんだって言われたわ」
「それって強姦した加害者が誘発するようなミニスカートをはいてた被害者に非があるって主張するのと一緒じゃない?!」
 私が怒りに燃えて叫ぶと汐は何故だかふわりと笑った。
「ね。変な社会よね。でもその社会で生きなきゃならないんだから仕方がないのよ。
 自分は変えようがないから。ありのままの自分を受け入れて、自分を卑下したりしちゃいけない。自分が一番自分を大切にして愛してあげなきゃ……」
「汐……」
「マヒロはぽっちゃりしてて確かに華奢とはいえないけど、顔だって美人とは言えないけど、でも愛嬌があって可愛いし、私より全然もてる。それに性格も明るくて元気で裏がなくて」
「そんな、汐の方がもてるよ」
「もてるって言うか。私の場合はこんな外見だからすぐにさせてくれそうに見えるってだけの事よ。それに――」
 ふといつも自信にあふれた汐の魅力的な貌が僅かに翳った。
「どんなにもてても、たった一人に愛されなきゃ意味がないのよ。自分の愛する人に愛されなきゃ、どんな容姿をしてたって何の意味もない……」
 私はビックリしていっぺんに酔いが醒めてしまった。
 だって、まさか、汐が片思いだなんて思っても見なかったから。
 当然汐は恋人がいてうまくいっているのだと思っていた。だっていつだって失恋の自棄に付き合ってもらうのは私だけだったから。
「ああ、マヒロに言ってなかったっけ? 私、ずっと片思いなのよ。両思いになる見込みはゼロなの」
 私は首が痛いぐらいにぶんぶんと頭を左右に振った。
 汐は柔らかに笑って優雅な仕草でグラスの淵を指先で辿りながら歌うように告白する。
「好きな人に愛されなかったら絶世の美女でも二目と見られないブスでも同じよ。何の意味もないの」
 汐みたいな女性に熱烈に愛されている相手は一体どんな人だろう。見込みはゼロってもしかして不倫とか??
 聞きたいような聞きたくないような。
 私がなんて言っていいか迷っていると汐はふと真剣な顔をして、
「まあ、そういう事だからあんまり卑下しない。マヒロの良さはマヒロが一番良く知ってるはずだし」
 汐の言うとおり、愚痴愚痴言ってたけど確かに私は自分の顔が嫌いではない。けっして美人とは言えないけれど愛嬌はある方だし可愛いと言ってくれる人もいる。スタイルだってちょっとぽっちゃりしているけどそういうのが好きだって言ってくれる人がいる。
「この世界に完璧な人間で完全に幸福な人間なんていないって事」
 汐はそう言うと新しい煙草を咥えて火をつけた。


 それからお互いの近況や失敗談などの楽しい話をしてあっという間に終電の時間になった。
 店の外に出ると汐が夜空を見上げて星が出てると少女のように感嘆の声を上げた。確かにこの大都会で星を見上げることは少ないし、冬でもなければよくは見えない。
「ほんとだ。――梅雨なのに珍しいね」
 そう言った私の言葉に子供のようにビックリした後苦笑した汐の貌がとても印象的だった。


 その日が七夕だって事に気付いたのは随分後になってからだった。