専務を愛していると言う、部長の笑顔に私の胸が悲鳴を上げる。
原山専務は人妻なのに部長に愛されてるのだ。
それは専務がとても有能で素晴らしい人だから。
私は大きく息を吸って、その息を静かにゆっくり吐き出した。
緊張してふるえる唇を何度も湿らす。
言葉を発しようと唇を開いてはそのまま息を飲んで声も無く閉じてしまう。
でも、これが、きっと、最後だから。
膝の上で両手を組み合わせて、それを白くなるまで握り閉めて、ぎゅっと目を閉じて、息を止めて。
そして一息に。
「私、部長が好きです。
好きで好きでたまりません。
どこにも行って欲しくないです。
ずっと部長のことばかり考えています……」
迷惑だって、判ってる。
でも、きっと、これが、最後だから。
――何でだろう。
涙が溢れてきた。
物心ついてから一度だって泣いたことは無かったのに。
恋がこんな気持ちになるなって、知らなかった。
こんなの学校では教えてくれなかった。
誰も私に教えてくれなかった。
こんな苦しい喜びが存在するなんて、考えもしなかった。
頬にやわらかな感触がして、伏せていた顔を上げると、部長がハンカチで私の頬を丁寧にぬぐってくれていた。
「ありがとう」
感情の見えない声で部長が私に囁いた。
「あなたの気持ちはとても嬉しいわ」
部長がぬぐってくれても私の涙は後から後から溢れてきて、止まらない。
「でも、今、私はその気持ちを受け入れることは出来ないわ。
あなたを愛していないし、あなたの事を良く知らないし、それに他に愛している人がいるから……」
そして部長は私の気持ちを一過性の憧れだと断言した。
確かに今、そうではない証明は出来そうになかった。私の気持ちはここ数ヶ月のものだったから。たとえ胸を切り開いて心臓を取り出して見せたとしても何の証明にもならない。取り出した心臓をささげても構わないほど愛していると告げても、きっと一過性の憧れだと言われてしまうだろう。
憧れを否定する私に、泣き止まない私に、部長は長いため息をついて肩を竦めた。
「そうね、じゃあ、私がこっちに戻って来るまで、今のこのあなたの気持ちが変わらなかったら。
その時、お互いに別に好きな人がいなければ、改めて考えてみてもいいわ」
それは3年後、いや、恐らく5年後の約束。
それでも構わない。
どうせ告白したからって、両想いになれるとは思っていなかったから。
私は何のとりえも無い、本当にごく普通の人間だから。
部長のような素晴らしい人が私を愛してくれるわけが無い。
そんな事、判りすぎるぐらい、判っていたから。
ただ、私の気持ちを信じてもらいたかった。
私が部長を愛していると言う、この気持ちを。
たったそれだけの事でも何年も年数がかかるのは離れてしまうのだから仕方が無い。
もし、部長がずっと傍にいてくれるならば1年かからずに信じてもらえるような、とても簡単な事なのに。
そうでなくとも、試しに少し私と付き合ってくれさえすれば、簡単にわかる事なのに。
私と部長を引き裂く距離と時間がすべてを難しくするのだ。
でも、部長はその距離と時間があるから冷静になれるのだと、きっともう少ししたら自分の真実に気がつくからと、私を宥める。
判ってもらえないという、辛さが、もどかしさが、私を打ちのめした。
これが男女の恋だったら「憧れ」から始まったとしてもけっして拒否されないのに。
同性だから、一過性のものだと拒否されてしまう。
私のこの気持ちはまぼろしなのだと。
そうして部長はあっという間にロサンゼルス支社へと転勤してしまった。
3年とか、5年とか、言っていたけど。
私は待たない。
だって決めたのだから。
この気持ちは一過性の憧れじゃないって、私自身が知っているから。
部長に、あのとても美しい人に、私は分不相応の穢れた欲望を持っているのだから。
それがただの憧れなわけが無い。
だから私は全力で努力して、部長を追いかけることに、――決めた。
週一で習っている英会話を週二にして。
ある程度スキルアップしたら異動願いを出して。
なるべく早く、出来うる最短の時間で、部長の元へ行くのだと、そう、決めたから。
そしてあの時「恋をしなさい」と言った部長の端整な笑顔が、私のまぶたの裏からいつまでもいつまでも消える事は無かった。
END