食事を終えてホテルの高層ラウンジに腰を落ち着けると、その日何度目か知れない蓮見かおりの言葉がかけられた。
「やっぱり、具合が悪いんだったら早く帰って休んだ方が良いんじゃない?」
「どうしてですか?」
眼下に広がるきらびやかな夜景から蓮見へと視線を戻してあやめは小首をかしげた。
「さっきの食事だって殆ど食べられなかったみたいだし、顔色もすごく悪いわよ」
気遣わしげな蓮見の言葉にあやめの胸がおののいた。彼女に心配されてると思うだけでも全身が喜びにうち震える。
「大丈夫です、ご心配おかけして申し訳ありません。
あと少しだけ、私に付き合っていただけませんか?
どうしても蓮見さんにお話したい事があるんです」
蓮見が困惑したような顔で黙って頷くと、あやめは静にかにゆっくりと深く呼吸した。
「私、不治の病なんです」
蓮見の傍にいるだけで眩暈がする。
気が遠くなりながらもひたと蓮見を見つめてあやめは伝えた。
「ええっ?」
とっさに蓮見はそれでこんなに具合が悪そうなんだ、と納得した。でも、それを仕事上の付き合いしかない自分に告げるこの女性の意図が見えない。
「どんな名医にも治せない不治の病なんですが、特効薬があるんです」
それじゃあ、不治の病じゃないんじゃ? と口をついて出そうになった言葉をあやめが遮った。
「この病気はあなたにしか治せないんです。
私、あなたが好きです。一目ぼれでした……」
「はぁっ?!」
場所もわきまえず、蓮見は腰を浮かせ、素っ頓狂な声を上げてしまった。が、すぐに我に返り、ほのかに顔を赤らめて周囲を見回しながら再び腰を落ち着ける。
「それってどういうこと? からかってるの?」
かなりひそめた声であやめに問いただした。
あやめは慌てて首を振る。
「からかうなんて……。
私、真剣なんです。
ご迷惑だとは思いましたが、このままだと体調の回復が見込めないのでこの気持ちを伝えようと思いました」
「だ、だって、あなた、……私を嫌いなんじゃないの?」
蓮見かおりがそう思うのも無理からぬ事で、この数ヶ月のあやめの態度を見れば嫌われてると思いこそすれ、好かれているとは到底考えられない。
あやめは青ざめた顔色をさっと赤く染めてうつむいた。
「不快な思いをさせて、すいません。
本当に失礼な態度ばかりだったと思います。
ただ、私、恋がこんなに辛いものだって知らなくて。
恋だって自分で気付いたのも実は最近なんです。
蓮見さんに一目惚れしてたって……」
どれだけ鈍いの? という心の声は口にせずに、蓮見は緩く巻いた髪を神経質に何度かかき上げた。それから暫く黙って考え込むと、深々とため息をつく。
「――そっか、真剣なのね」
「はい」
「お医者様でも草津の湯でも治らないんだ」
「はい」
「で、どうしたいの? 特効薬って?」
気も短く訊いてくる蓮見に少しだけ逡巡してからあやめは口をきった。
「ご迷惑だとは思うんですが、私と付き合ってもらえませんでしょうか? それがこの病の特効薬になると思うんです」
「付き合う? だって私達女同士よ」
「はい、それは判ってます。
でも、私はあなたを好きになってしまったので」
「ああ、そっか。そうよね」
蓮見はう〜んとうつむいて考えながら自分の頭をぞんざいにかき回した。それからおもむろに顔を上げて、
「そうね、いいわ。付き合いましょう」
と、言った。
思いもよらない蓮見の言葉にあやめの時が止まった。
「私、今フリーだし、付き合ってみるだけならいいわよ。
あー、でも、キスとかセックスとかはとりあえず無しで」
「ええぇぇーーーっ!!」
ワンテンポ遅れて思わず叫んでしまったあやめに、蓮見は慌てて手で彼女の口を塞いだ。
「しーっ。まあ、まあ、ちょっと落ち着いて」
そして蓮見はあやめにだけ聞こえるような小さな声で、ここ数年フリーなのはどうしてか昔から男性とはトラブルが多く、いい加減懲りてしまっていたからなのだと告白した。
「同性とは付き合ったことがないからあなたを好きになれるかどうかはわからないけど、付き合ってみてもいいわ」
「――いいんですか?」
「初体験だもの、良いも悪いもわからないけど、だから付き合ってみても良いんじゃないの? あ、でも……」
蓮見はそこで急に表情を曇らせた。
「実は私今の上司とセフレ関係なんだけど、続けてたら嫌よね?」
「えっ! も、勿論嫌です。
だって私はあなたが好きなんですよ」
蓮見のかなりの爆弾発言もその前の発言で感覚が麻痺してしまったのか、あやめは淡々と受けていた。
「まあ、仕事上人間関係を円滑にするために必要に迫られての関係だったし、もう私も若くないから、多分、綺麗に手を切る事は出来るんじゃないかな」
上司、若い子が好きなんだよねぇ、などと呟きながら蓮見は苦笑した。
一目惚れだったから蓮見かおりのことはまったく知らないと言っても過言ではない。プライベートだとこんな性格の人なんだ、とどこか夢見心地のまま、あやめはぼんやりと蓮見を眺めていた。
ただ、わかったのは、あやめのこの『不治の病』の為に、それを治せるかもしれないからと協力しようとしてくれる、その優しさ。
「あなたの事何も知らないから、あなたを好きになれるかまだわからないけど、とりあえずよろしく」
そう言って差し出された綺麗な手を躊躇いながら握ると、やっぱりびりびりと痺れるような快感と喜びがあやめの全身にいきわたった。
こうして二人は始まった。
END