INDEX   ABOUT   TEXT   LINK   MEMO

抱 擁

 待ち合わせをすっぽかされて少しばかり気落ちした気分でレストランを後にしようと席を立つと、不意に明るい朗らかな声が私の名前を呼んだ。
 「――やっぱりトオコだ、久し振り、元気だった??」
 そこにいたのは幼馴染みの清美。
 「ふふふ、旦那とデートなの。トオコはもう済んだの?? まだずいぶん早い時間みたいだけど」
 「え、あ、うん」
 私の曖昧な返答に清美は鈴が転がるように綺麗な声で笑った。
 「相変わらず嘘が下手ね。嘘をつく時耳をいじるクセ変わってないなぁ」
 私は咄嗟に耳をいじっていた手を背後に隠した。全身が羞恥に赤くなる。
 「そ、その、相手が急な仕事で駄目になっちゃって……」
 どもりながら答えると清美は天使もかくやと言うかのような完璧な笑みを浮かべた。
 「ね、だったら一緒に食べない??」
 「だって、ご主人とお食事なんでしょう??」
 「いいのよ、もういつものことだから二人だとつまらなくて」
 その無邪気さに眩暈を覚えてしまう。
 気がつくと子供のように手を引かれて、私は清美のご主人の待つテーブルへ連れて行かれた。
 「じゃ〜ん、誰でしょう」
 清美がご主人へ子供のように問いかける。ご主人は私を見ると椅子から立ち上がって軽く会釈した。
 「あれだろう、君の幼馴染みの……」
 「そ、そ、トオコ! すご〜〜い、何で知ってるの??」
 「え、だって結婚式の時に会ったし、君の友達の中で一番美人だから」
 ご主人の返答に清美は大きな目をまん丸にしてびっくりしていた。勿論、私もびっくりした。5年も前に一度会ったきりの人間をどうして覚えているのか。私ですら清美のご主人の顔をすっかり忘れていたのに。
 ご主人がウエイターに席を用意するように告げ、何故か私は清美とご主人と一緒に食事をすることになった。
 幼馴染みの清美と会うのは正直嬉しいけれどご主人とは出来れば会いたくなかった。
 何故なら私は――。
 「ね、翔ちゃんってやっぱり面食い? まあ、男性でも女性でもやっぱり綺麗な方がいいわよね」
 「もちろん、汚いより綺麗な方が断然いいよ」
 それでも夫婦というよりは友達同士みたいな二人の会話に私の気持ちは少しずつ解れていった。


 清美は昔から可愛かったけど今は年の離れたご主人に合わせているのか服装も年齢よりは大人っぽく纏めていて可愛いけど綺麗な感じになった。十歳年上のご主人は逆に若々しい感じに纏めていて年齢より若く見える。まあ、若い奥さんを可愛がっているわけだから気も身体も若くなろうってものでしょうけれど。
 私が年に1.2回しか来る事が出来ない高級レストランで毎月ディナーデートをしている他人も羨むような仲の良い二人。
 清美の笑顔を見ることが出来て嬉しいのに、私の胸に突き刺さるのは鋭い痛みだった。
 「食事、お口に合いませんか? メニューを持ってこさせましょうか?」
 浮かない私を心配してご主人が優しい声をかけてくれる。その優しさが私に痛みを与えるという事も知らずに。
 だって私は今でも――。
 「うふふふ。トオコに会えるなんて思っても見なかったから嬉しい」
 ワインでほんのりと上気した顔ととろりとした柔らかな眼差しで清美が私を見つめる。きっと私は真っ赤になっている。お酒で顔が赤くなっていると思われればいいけれど。食事をするのに必要最低限に灯りを落した店内でも私の赤味は明らかだろうから。
 「ね、翔ちゃん。さっきトオコの事一番美人って言ってたじゃない? そうなのよ、だって私の初恋の人で最初で最後の恋人だったんだもの。今でも変わらずトオコは綺麗なのね」
 「清美!」
 全身の血が音を立てて引いてゆく。咄嗟に清美のご主人を見ると何故かご主人は笑っていた。
 「あ〜あ、今日は奥さん酔っ払うの早いなぁ。すいませんね、トオコさん。お酒に弱くていつも食事が終わる頃には酔っ払っちゃうんですよ」
 ――うそ!
 私は思わず飛び出しそうになった言葉を飲み込んだ。確かに清美は顔に出るタイプだ。でも、顔に出るからといって酔っ払っているわけじゃない。何故なら私は一度だって酔っ払った清美を見たことがないから。
 不意にご主人が腕時計を眺めてゆっくりと立ち上がった。
 「申し訳ありません、仕事に戻る時間になってしまったので清美のことお願いできますか?? タクシーに押し込んで下されば結構ですから」
 「いや〜〜ん、折角会ったんだからトオコと飲みたーい」
 酔っ払った風に清美が甘えた声を出す。男性でも女性でもこの清美の甘えに抗える人間を私は未だに知らない。勿論、私も同様に。
 「好きになさい。あんまりトオコさんにご迷惑かけるんじゃないよ」
 清美のご主人はまるで父親のように清美の小さくて丸い頭を優しく撫でて伝票を持って行ってしまった。


 飲みたいと言ったのは清美。
 なのにどうして私はホテルのスイートの一室で清美に背後から抱き締められているんだろう。
 「トオコ、会いたかった。――好き、大好き。愛してるの。
 ――ねえ、セックスしましょう」
 可愛い可愛い清美。
 あの時別れを告げた同じ口で私に今、愛を囁く。私を拒絶した華奢な腕で私をきつく強く抱き締める。
 私に拒絶する力はない。
 何故なら何人恋人が変わろうと私が愛しているのは幼馴染みの清美ただ一人だから。ずっと昔から今も変わらずに。
 私は振り返って清美を抱き返す。
 もう、この腕を放すことは二度と出来ないだろうと判っていたのに。



 〜11月19日までのブログの拍手SSでした。