たいせつなもの | |
(注:微妙な表現が含まれています) どんなに望んでも絶対に手に入れられないものがある。 ほんの小さな頃から私はそれを知っていた。 私を呼ぶ、甘えたような声が好き。 そしてその時に浮かぶ綻ぶような笑顔が好き。 物心つく前からずっと一緒にいて、私はその一緒の時間が永遠に続くものだと思っていた。 でも大きくなるにつれお互いに別の世界が出来て、いつしか近い未来の別離の予感に胸が塞いだ。 お互いに親友ができた時も恋人ができた時も、その痛みは私を刺し貫いた。 私はずっと永遠に未来を分かち合えるのだと盲信していた。 だからその都度心が引き裂かれて痛みにのたうった。 だから、判ったのだ。 そんな未来は永久にこないのだと言うことが。 私達は分かれ、別々の人生を歩む。 「翔子ちゃん」 柔らかな甘い声が私の耳朶を優しく打つ。 「結婚が決まったの。家を出るわ」 そう言う、涼子の前で、私は泣き崩れた。 どうしても笑っておめでとうと言えなかった。 涼子は私の手を取ると両手で包み込むように握って自分の胸に引き寄せた。 「――私たち、まるで一卵性の双生児のように仲良しだったわ」 涼子の不可解な行動に私は涙を流したまま顔を上げてその顔を見返した。 涼子の瞳にじんわりと滲むものを見つけて私は息を飲んだ。 「泣かないで、翔子ちゃん」 そう、ここは笑っておめでとうと言う場面なのだから。泣いたのはルール違反だ。 それでも……。 「大好きよ、翔子ちゃん。……多分自分よりもずっと大事」 「涼子??」 ふんわりと柔らかく抱き締められて、涼子の顔が見えない。 「大好きだから、私が翔子ちゃんを壊してしまう前に、離れて行くの」 引き裂かれるように辛いけど、二人がこの先生きていくために別離が必要なのだと涼子が語る。 「この先結婚して子供を生んで別々の人生を生きるけど、どうか覚えていて。私が何よりも誰よりも大切なのは翔子ちゃん、あなただけ」 言葉と共に抱擁に力がこもる。 「涼子!」 私は両腕を突っぱねて涼子の抱擁から逃れるとその顔を覗き込んだ。 涼子が泣いている。 どんな時にも涙一つ見せなかった涼子が……。 その光景は私の胸を深く抉った。 「どうして? 私は涼子が好きで涼子は私が好きなのに、どうして私達は一緒にいられないの??」 叫ぶような私の声に涼子はゆっくりと首を振った。 「――私たち、まるで一卵性の双生児のように仲良しだったわ」 一つのおやつを、一つのご飯を分けて食べた。一つのおもちゃを一緒に使った。一つの布団で寝て、一つの部屋で生活した。 その情景が走馬灯のように目に浮かんで消える。 「私たちが一緒にいては未来がないから。私はきっと翔子ちゃんを雁字搦めに縛って、壊してしまう」 「だから逃げるの!!」 涼子は小さく頷いた。 「私は翔子ちゃんが大事なの。壊したくない。幸せにしてあげたい」 「だったら!」 「私じゃ駄目なのよ!」 普段声を荒げない涼子が悲鳴のように叫んだ。 「私は翔子ちゃんに子供を与えてあげられない。生活の面倒を見てあげられない。この身体と愛の言葉しかあげられない」 「それだけで充分なのに! 私は涼子さえいれば、何もいらない……」 ふわりと涙を湛えた涼子の目が笑みに細められて目尻からはらはらと涙がこぼれ落ちた。 「それじゃ駄目なのよ。二人とも不幸になる」 涼子の温かな指が私の涙を拭って両掌で頬をそっと挟んだ。導かれるままに顔を上げると、その唇が私の目元に残った涙を優しく吸った。 「私は逃げるわ。翔子ちゃんを幸せにするために。どこまでも逃げるわ。逃げ続ける。だからどうか幸せになって……」 涼子を失ってどうして私が幸せになれるのだろう。いくら言葉を尽くしても涼子はただ首を振るだけだった。 「どうか忘れないで、私が大切なのは翔子ちゃんだけだから。きっと死んでもずっと翔子ちゃんが好き……」 どうしても気持ちが通じなくて、悔しくて切なくて、私はただ力任せにぎゅうぎゅうと涼子を抱き締めた。 こんなに苦しくてもいつか私は涼子を忘れて他の人を好きになるのだろうか。 涼子を失っていつものように笑えるのだろうか。 生きていけるのだろうか。 「――私たち、まるで一卵性の双生児のように仲良しだったわ」 涼子が壊れたレコードのように繰り返す。 ガラス玉のような瞳はもう私を映さない。 だから私はそう言うしかなかった。 「――結婚おめでとう、姉さん……」 愛していると、離れたくないと、全ての自分の感情を押し殺して。 「ありがとう、翔子ちゃん」 甘えたような声で、綻ぶ笑顔で、涼子は涼子ではなく、私の姉としての存在に立ち返り、なのに何故だか私の唇に自分の唇を重ねた。 |