夢のあとさき | |
約束していた時間を1時間過ぎてもあなたは現れなかった。
あらかじめ予約していた二人分のフルコース料理をハーフコースの一人前に変更してもらって一人で食事をはじめる。 ゆっくりと一口ずつ味わって食べた。 こんな気分の時でも料理はとても美味しくて思わず「美味しい」とこぼれ出た自分の声に胸が苦しくなった。 この喜びを分かち合えない寂しさに目の奥がちくりと痛む。 そう、でも、判っていたはず。 彼女は来ないと……。 今日は私の誕生日。 去年私達はこの店で私の誕生祝をした。私と恋人と。 私達は周りも見えないほど熱烈な恋愛をしていた。幸せに蕩けそうというのはこういう事なんだとその時はじめて実感したほど特別な恋だった。 そして特別だと思ったのは私だけだったのだ。 去年の今日、私達は約束した。 何があっても、たとえ別れるようなことがあっても、次の私の誕生日は一緒にこの店でお祝いをしようと。 だから帰りがけに一年後の予約をして帰ったのだ。 それから3ヶ月もしないで別れる運命だったのを知らずに。 あの頃の私達は「永遠」を信じていた。 二人で「永遠」に共にいられると思っていた。 確かなものなど何も無いと知りすぎるほど知っている充分な大人だったのに。 はじめは些細な喧嘩だった。 それがいつしかそれまでに積もり積もった不満をぶつけ合う罵りあいになってしまった。 「冷たい」と言われ、「束縛しない」となじられ、「愛情が足りない」と責め立てられた。 私はどちらかと言うと淡白な方だし丁度仕事が忙しくなって何度か約束をすっぽかしてしまった事があった。 もちろんすぐに謝罪の連絡はしたけれど、それだけでは彼女の気が済まなかったのだろう。 私は再び謝罪して、それでも生きていくためには仕事を優先しなければならない事だけは彼女に伝えた。 そして彼女は私の前から去って行った。 私よりも優しくてまめな新しい恋人が出来たと風の便りに聞いたのは別れてからそんなに時間が経たないうちだった。 恋愛が終わって熱から覚めると、仕方が無いと自分を慰めた。 私達はあまりにもつり合わなかった。 彼女は美人で背も高くスタイルが良くて頭もいい。仕事も出来て時間の使い方も上手。そして気遣いができて優しい。 それに比べて私はすべてが平凡だった。容姿は十人並み、要領は悪いしどちらかと言うと不器用。そして頭も良い方じゃない。だからなんにしろ脇目も振らず一生懸命するしかなかった。もしかしたら少しでも彼女とつり合いたいと無意識に頑張っていたのかもしれない。 その結果、恋人に寂しい思いをさせて、結局別れる事になってしまった。 あれから約9ヶ月。 もちろん何の連絡も無かった。私からも連絡をとらなかった。 そして誕生日の今日、私は気付いたらこの思い出の場所に足を運んでいた。 そして来るはずのない彼女を待っていた。 別れたけれど、私は彼女を忘れる事が出来なかった。 もう一度、会って、そして少しでもいいから話をしたかった。 せめて以前と変わらず、今でも愛しているのだと告げたかった。 けれども、もちろん、彼女は来なかった。 来る必要も義理も無い。 あの約束は別れた瞬間、無効になったのだから。 そして来なくて正解だったのだ。 新しい恋人と幸せになっているのに今更私に愛を告げられても迷惑なだけだろうから。 デザートに手をつける気になれずにそのまましめてもらい、支払いを済ませて席を立つ。 とても美味しかったけれど、もう二度とこの店には来ないだろうと思いながら店を出た。 ぼんやりと駅へ向って歩いていると突然目の前に花が現れて、むせ返るような薔薇の香りに襲われた。 「遅れて、ごめん! ――誕生日おめでとう……」 そこには色とりどりのたくさんの薔薇を抱えた彼女が、ちょっと困ったような笑顔を浮かべて立っていた。 |