昼休み、ランチから帰って来ると更衣室のテーブルセットに腰掛けて雑誌をめくっている先輩がいた。
特に見る気も無く先輩の後ろを通り自分のロッカーへ化粧ポーチを取りに行こうとしたあやめは思わず立ち止まった。
「先輩、それって……」
「おお、お帰りー。今日は外だったんだ」
びっくりしたように振り返った先輩の横から覗き込むと、ページの隅に思ったとおりの名前が載っていた。
コーディネイト/蓮見かおり
「あ、そっか、これ、蓮見さんだよ」
あやめの食い入るような視線に気付いて先輩が雑誌をあやめの顔に寄せる。
「うん、そうかなぁって。雰囲気蓮見さんぽいから」
「え、凄くない? 雰囲気でわかるの?」
「えっ?」
「一ヶ月一緒にいるぐらいでも判るものなんだ。それとも
「そんな、特別なんて……」
「だって、販売2年でうちの事業部に転属で、1年しないで大きな案件任されてるし、そういうのって大抜擢とか言うんじゃない?」
「さあ、大きな案件って言ってもS社とうちのパイプなだけだし、蓮見さんのサポートで、実際私は何もしてませんよ」
「ま、そうなんだけどさ」
先輩はちらりと時計を見て雑誌を閉じて立ち上がった。昼休みが終わる時間だった。
あやめも急いで化粧を直して小走りにフロアの自分の席に戻った。
杜若あやめ、25歳。大学を卒業後、2年ほど販売を経験して現在のインテリア事業部へと配属される。
配属半年で取引先の大手インテリアメーカーのコーディネーターと組んで来春のフレッシャーズ向けの企画を担当している。
この企画は何年か前までは男性のコーディネーターが請け負っていた仕事だったが時代のニーズに合わせて近年女性のコーディネーターが担当するようになり、何度か男女のトラブルが起こったことからサポートにつく事業部の人間は同性に落ち着いたのだった。
今回あやめと組むコーディネーターはインテリアデザイナーでもある、蓮見かおり。3年前からこの企画に参加している有望な若手で、28歳。感じの良い美人で性格も悪くない。
そう、悪くない。
あやめは自席で長い長いため息をこぼした。
性格もいい、美人で、仕事のセンスもピカ一で真面目。
なのになんでこんなにイライラするのだろう。
蓮見かおりの姿を眼にするだけで嫌な感じが胸に広がるのだ。
今までこんなことは無かったけれど、もしかしてこう言うのが生理的嫌悪と言うのかも知れない。
でも、仕事に私情は挟むべきではないし、長くても後1ヶ月もしないでこの企画は終わるのだ。多少忍耐は必要だけれど、社会人として大人な対応は充分出来るはずだ、出来るはずだとあやめは思っていた。
「杜若さん、聞いてる?
ぼうっとしないで。
だからAプランでいくならこれとこれが必要なの。
手配できるかしら?」
「あ、は、はい。
――大丈夫です。
こちらとこちらはすでに手配済みです。
もしBプランでいくとしてもこちらとこちらも手配してありますので……」
最近うっかりとぼんやりしてしまうのは疲れが溜まっているのかも。
ろくに休みも無く馬車馬のように働かされてる、と思うあやめは自分の失態に軽く唇を噛み締めた。
蓮見の綺麗な指が商品カタログの上を淀みなくすべって、確実に話を進めていく。あやめは忘れないように型番やページ数、商品名などを素早くメモした。
時々気になる事があっても、今回の仕事ではサポート役に徹する事にしている。蓮見の感性に自分が口を出したら恐らく不協和音を醸し出してしまうだろうと判っていたから。
それに、この仕事で意見を求められて居ないのは判りきっていた。
もし意見が必要ならば配属半年の新人をサポートにつけたりしないだろう。
今は「はいはい」と言うことを聞く、人形であることを求められているのだ。
S社も、そして自社の上層部も。
「そう、仕事が速くて助かるわ」
蓮見かおりはちらりと自身の腕時計に視線を走らせて、立ち上がった。
「そろそろお昼だから一緒にランチでもどう?」
ここ毎日顔を合わせて打ち合わせだの外回りだのと行動を共にしているのに、ランチまで一緒なんて冗談じゃない。
あやめはとっさに申し訳なさそうな顔をした。
「すいません。お恥ずかしい話、このところの通常業務が溜まってしまっていまして。
出来れば昼休みに片付けてしまいたいんです。
折角のお誘いですが、今日の所は遠慮させて下さい」
それでも断るのは3回に1回にしている。
仕事を円滑に進めるには付き合いも大事だと判っているから。
ただ、出来れば誘って欲しくはない。
なるべく一緒に居る時間を少なくしたいから。
蓮見と一緒に居るとサイズの合わない服を着てるような、座り心地の悪い椅子に無理やり座らされてるかのような、落ち着かなさを常に感じる。それはあやめにとってとても苦痛だった。
それでも「後少し」「後何日」と呪文のように繰り返してやっと日々を過ごしていた。不幸中の幸いでこの苦痛は期限付きなのだ。
それだけがあやめの心を支えていた。