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 ある晴れた日

 【 ルージュ 】 ルージュ
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【 ある晴れた日 】 ある晴れた日


ある晴れた日

 胸に湧き上がるのは優しく懐かしい恋慕。
 くしゃくしゃの笑顔。
 薄い手足の華奢な少女。
 まだ性別も未分化な中性的な、そのすべて。


 休日の街中でとても懐かしい人に出会った。
 多分見つけたのは私が先。
 懐かしかったけれど相手に連れがいるのに気づいて気がつかないフリをして踵を返すと、背後から呼び止められた。
 こうして直接話すのは8年ぶり、彼女が高校を卒業してからもう7年が過ぎていた。
 私達は当たり前の挨拶を交わしあった。
「――お友達??」
 彼女の傍らの女性に私が軽く会釈すると、
「違いますよ、恋人。高校の後輩なんです」
 彼女はしごくあっさりと暴露した。
「――えっ!」
 まさかそんな紹介を受けるとは思わずに、それでも私は何とか平静を装った。
「そう、可愛らしい方ね」
 私の言葉に彼女はまるで子供のように、そう、まるで高校時代そのままにくしゃくしゃの笑顔で破願した。
「有難うございます。
 ――先生、今日はこれからどちらかへ??」
「ううん、もう帰るところなのよ」
「それじゃあ迷惑でなければこの後私と付き合ってくれませんか??」
「えっ、でもデート中じゃないの?」
「あ、そうですね。ちょっとだけここで待ってていただけますか?」
 高校時代そのままといっても彼女はすっかり大人の女性でいつの間にか私に敬語を使うようになっていた。その成長を嬉しく思いつつも少しだけ寂しい。
 私を待たせた彼女は少し離れた場所で遠慮していた恋人と暫く何か話し込んでから別れた。
「それじゃ行きましょうか?」
「行くってどこへ?」
「とりあえず先生と久し振りにいろいろ話したいのでどこかでお茶しませんか?」
 そう誘われて、近所に感じの良いカフェがあることを思いだして私はそこへ彼女を連れて行った。
 席についてお互いに注文を済ませるとすぐに彼女から質問攻めにあった。
「先生、結婚は?」
「まだよ」
「予定はあるんですか?」
「ないわ」
「恋人はいます?」
「一応それらしき人は……」
「男性ですよね?」
「…………」
 まるで身上調査みたいな展開に私は黙り込んだ。
「それはどうしても知っておかなければいけないこと?」
 私がため息混じりに聞くと彼女はこくんと頷いた。
「先生に聞いて欲しい事があるんです。――先生が嫌な気持ちになったら申し訳ないけど……。
 私、高校時代ずっとずっと先生が好きでした」
 それはもちろん、知っていた。
 あんなふうに熱く強い憧憬の眼差しを注がれれば誰でも気づくだろう。
 けれども、私はそれを受け入れる訳にはいかなかった。
 私は教師で彼女は生徒で、まだ定まっていない少女の嗜好を決定してしまう事をとても畏れた。
「そう、どうも有り難う」
 私の答えに彼女はにっこりと嬉しそうに笑った。
「今もずっと忘れてなくて先生が好きだっていったらどう思います?」
「――えっ?
 だって、恋人が……」
 彼女はやはりこくりと頷いた。
「そうなんです。それでたった今、別れて来ました」
「ええっ?!」
「だって、恋人がいるのに先生に告白するわけにはいかないでしょ?」
「…………」
 私は言葉もなく彼女を見つめた。
 彼女の真意が見えない。
「フリーになって先生に告白して。もちろん応えてもらえるとは思ってないけど。出来たらこれからアタックしたいと思ってるんです」
 私が目を瞠ると彼女は微笑むように静かに目を細めた。
「なびいてもらえるとかそういうのは判らないけれど少なくとも自分がフリーにならなきゃ真剣だと思ってもらえないだろうし、それにもしかしたらって思ってます。可能性はゼロじゃないと。
 だって先生、私があの子を恋人だって紹介した時、驚いてたけど驚きすぎてはいなかった。だから私が恋人だって言った事に驚いただけで私の性向に驚いてたわけじゃないんだって思ったんです。
 それにさっきの質問攻めで恋人は男性だって断定しなかったし。
 先生は昔から嘘はつかなかった。そして嘘をつかなきゃならないような時は黙って答えなかったでしょう」
 それからひたと私の目を見つめて。
「もう、私と先生は先生と生徒じゃない。だから生徒じゃない一人の女性として私を見てはくれませんか? そして時々この街のどこかで私が先生を愛している事を思い出してくれたら嬉しい……」
「…………」
 果たして、そんな風に想ってもらえる価値が私にあるのだろか。彼女は未だに過去の憧れにとらわれているに過ぎないのではないだろうか。
「ごめんなさい、いきなりこんなことを言って。迷惑ですよね」
 強い輝きを宿していた瞳をそっと伏せて彼女は困ったように眉根を寄せた。
「――私、気持ちって風化したり薄れていくものだとずっと思ってたんです。時間には勝てないって。でも、あのキスから私は一歩も前に進めない。まだ先生の口唇の感触が残っていて、いつまで経っても口唇が燃えるように熱いんです……」
 そう言うと女性らしく少し丸みを帯びた華奢な指先で彼女は自分の口唇に静かに触れた。上品な淡いピンクベージュに塗られた口唇はあの頃の瑞々しい薄紅色とは違う。
 それでもその口唇を目にしているとあの時重なった柔らかな口唇の感触が蘇ってきて私の胸がざわめいた。
 堪えきれない衝動に慌てて蓋をしたあの懐かしくも切ない日々。
 彼女が傍にいるだけで私の世界は鮮やかに輝いていた。
 私の今の恋人は彼女の推測どおり女性で。けれどもうまくいっているわけじゃなくて、その原因は結局恋人から思われるほど私が恋人を愛してはいないからで。男性でも女性でも、どんな相手とも長続きしないのは彼女と同様にあのキスが忘れられないからなのかもしれない。
 ふと気づくと私も自分の口唇を撫でていた。8年前の燃えるような赤いルージュではなく、モカベージュのそれ。
 指先についたそれをティッシュで拭うとその指に彼女が躊躇いがちに触れてきた。
「愛してます」
 繰り返す彼女にどう答えていいか判らずに視線を彷徨わせていると、
「何度もごめんなさい。でも、8年分だから。言わせて下さい。
 ――愛してます」
 私の指先をとても熱い手で握り締めて、彼女は微かにはにかみながらとても嬉しそうに笑った。

END