ルージュ
ふっくらと赤いルージュのひかれた唇は成熟した大人のものだ。
得ようと思っても今すぐ得られるものじゃない。
いや、それを欲しいのではなくて、その唇が、欲しいのだ。
重なる感触はひどく柔らかで、温かかった。
――キスなんてなんてことないのよ。
そしてその唇が言葉を紡ぐ。
だから、逃げ出すしかなかった。
切なくて苦しくて。
――センセ、キスのしかた教えて。
冗談交じりに軽く求めると、眼鏡の奥の眼を細めて教師が笑った。
――ここに?
と尋ねて唇に触れる教師の指先がほんのりと温かくて、その手入れされた爪が綺麗な色で飾られているのを間近で眼にした。
軽く息を吐くようにふふふと笑うと教師は眼鏡を外し、眼を伏せて顔を少しだけ傾けた。
迫ってくる顔にときめきながら、
――やっぱり、センセ、キレイ……。
近づいてくる端正な顔に釘付けになる。
そして柔らかな感触。
長い睫毛も形のいい耳もアーモンド形の眼も意志の強そうな眉も繊細な鼻梁も笑みの形の唇もスラリとした手足も全部何もかも好きだった。
こんな人間が存在するなんて思っても見なかった。
――あ、あの、ありがと。勉強になった。
――そう、またいつでもいらっしゃい。
苦しくて切なくて、逃げ出すように保健室を飛び出す。
そうしなければ泣いてしまいそうだったから。
ただの生徒の一人でしかないのだ。
キスなど誰とでもこんなに簡単にする人なのだ。
そう思っても思い切ることが出来ず、触れた唇を指で辿る。
指先についた淡い紅に、あのふっくらとした唇と重なったのだと今更に実感が沸いて、口元を手で押さえてその場にうずくまってしまった。
――好き……。
それは告げることがない言葉。
でも想わずにはいられない。