目を閉じて、息を止めて 前編
――センセ、キスのしかた教えて。
冗談交じりに軽く言われて、世界が止まった――。
誰かを欲するのが恋ならばこれは恋なのかもしれない。
そう、うすうすは思っていた。
昼休みの度に訪れて他愛のない話をしていく少女をせつない気持ちで迎えるようになったのはそんなに最近ではない。
明るい華やかな笑い声は昼下がりの保健室を眩しく感じさせるほどだった。
片思いの彼のこと、今は両想いになった彼のこと。好きな授業と嫌いな授業と好きな先生と嫌いな先生と。
まるで実の姉に話すように彼女は私に語り、私は相槌を打った。
好きな色は赤、好きな花は桜、好きな食べ物はパフェ、好きな音楽は洋楽、彼女の好きなものと嫌いなものをすべて知ってるかもしれない。
私の脳は彼女のすべての情報を余すことなく記憶して彼女の一挙一動を心に刻み込んでいた。
あの花を見てどんな顔をして笑ったとか、その椅子に座って机の角をそっと撫でたとか、そんなすべてをまるで今のことのようにまざまざと思い出せる。
彼女にただ笑っていて欲しかった。彼女の笑顔は私を温かく優しい気持ちにし、切なく苦しい気持ちにした。
それでも会えない日に辛く暗い気持ちになるのよりはずっとその甘やかな痛みの方がいい。顔を見て声を聞いてその存在を感じていられる方がいい。
彼と付き合い始めたばかりの彼女はまだ手も握ってくれないと拗ねたように淡い色の唇を尖らせて、まるでお天気の話をするかのようにあっさりと私に強請った。
――ね、センセ、キスのしかた教えて。
その舌足らずな甘い声に私の世界は凍りつき、目の前が真っ白になる。
私は夢を見ているのか、願望が白昼夢になったのか。
――ここに?
と問う自分の声がまるで他人のもののように遠く、彼女の唇に触れた指先が燃えるように熱かった。