■ 二人の行方 3
 ――行ってらっしゃいと言って笑った君の顔がまるで泣いているかのように見えて、私は言葉を失った。
 行かないと、傍にいると、永遠に離れないと、そう口走りそうになって唇を噛み締める。
 君がどんな気持ちで「行ってらっしゃい」と言ってくれたのか判ってしまうからそんな気休めは口にしてはいけない。
 会社を辞めて、では私はどうすれば君と生きていけるのだろう。
 私達は婚姻とか子孫とか目に見える約束や絆がない。
 何かあった時に頼れるのは人ではなくてお金だ。友達がいないわけじゃない。けれども友達は家族ではない。傷ついて弱った時に、世界があまりにも重く自分にのしかかった時に、家族の無償の愛はとても貴重だ。私に何かあった時に、君に何かあった時に、頼れるのは悲しいかなお金なのだ。
 働かないわけにはいかない。
 けれど、この年齢での転職はとても難しい。
 少なくとももう少しスキルを積んでからか、もう少し若かったならば、話は別だけれど。
 「――大丈夫」
 君は何度も呪文のように繰り返して私の手を握った。
 「花火の時にね、言ってくれたでしょう?
 “たとえ一緒にいなくても心はいつも繋がっている”って。――だから、大丈夫。
 3年なんってあっという間だし、長い休みの度に遊びに行くわ。だから、大丈夫」
 まるで自分に言い聞かせるように語る君を私はたまらなくなって抱きしめた。
 たとえ会えない時間が長くても、いつも傍に居られなくても、思う気持ちは変わらないのだと、そう言ってくれているのだ。
 この先またいろいろなことがあるだろう。
 今回のように辛い決断をしなければいけない事も多々あるに違いない。それでもその一つ一つを逃げたりしないで真正面から向き合って解決していきたい。そういう風に二人が努力し続ける限り、私達はきっと“永遠”でいられるに違いない。
 私は彼女の長い髪に指を絡め、その髪に鼻をうずめて胸いっぱいに彼女の香りを吸い込んだ。それは細胞まで浸透して私を優しくて強くて元気にする素晴らしいエッセンス。
 「まだ決定じゃないけど、研修から帰って来たらもう一度よく話し合おうよ」
 その時には状況は変わっているかもしれない。
 未来の事は誰にも判らないから。
 「出来れば転勤はしたくない。でも、どうしてもという時は行くわ」
 私が決断すると彼女はゆっくりと、けれどもしっかりと私の目を見つめて頷いてくれた。


 結局、海外研修から帰って来たあなたはそのまま慌しく準備をして海外へと転勤していった。
 私はあなたの乗った飛行機が空に消えて見えなくなるまで瞬きもせずに見送った。
 そして少しだけ、泣いた。
 それは永遠の別れではない。
 だから大丈夫。
 だって私達は未来に向かって歩き続けなければならないから。過去を懐かしんで嘆き悲しんではいられない。毎日がとても忙しいから。
 ただ、早く明日が来ればいい。早く年月が過ぎればいい。そうすれば私はまたあなたの存在を身近に感じて温かなあなたを抱き締めてあなたの傍であなたと共に生きていけるから。
 それまでは、一人でも大丈夫。
 だって私達の心は離れていても一緒だから。


 「あれ、英会話習ってるんだ?」
 「――うん」
 「でも、確かあんた日常会話OKじゃなかったっけ??」
 「そそ。でも、もう少し上達しようかなぁって思って」
 「はーーん、さては……」
 私はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた同期を軽く小突いた。判ってて突っ込んでくるかなぁ、もう。
 「前向きだね」
 「だって、振り返っていても仕方が無いし、立ち止まっていたら前に進めないもの」
 私の言葉に彼女は華のように笑った。
 「あんたやっぱりいい女だよ」
 「そうよ、知らなかった?? でも、もっともっといい女になるの」
 気遣う言葉に調子にのって大きく出てみる。
 だって、久し振りに会うならば今よりももっともっと私を好きになってもらいたい。未来の私に惚れ直させたい。だから立ち止まってなんていられない。
 ――でも、本当は……。
 何もいらないから、あなたに会いたい。
 ただ会ってあなたの吐息を感じたい。
 あなたの傍にいたい。
 本当は……。
 心の叫びにそっと蓋をして、私は勢いをつけて立ち上がった。
 「と言う訳で帰ります。お先に〜!」
 大丈夫、一人でも大丈夫。
 だって永遠に一人な訳ではないから。
 今だけだから。
 あなたに会える日を楽しみに、生きて行ける。


 ――ずっとずっと、愛してる。


■ END ■

二人の日常

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