■ 聖 夜
 世間がクリスマスで浮かれている頃。
 年末年始の休暇までに仕事を間に合わせるために12月の中旬から殆ど休みなく働いているあなた。
 もちろん私もあなたほどではないけれど忙しい。
 お互いに休める時間も合わなくてただ寝に帰る日々。一言も言葉を交わさない日も幾日か続いた。
 けれどもどんなに遅くなっても必ず帰って来て家で身体を休める私達。その体温を気配を香りを感じるだけでぎすぎすとした気持ちがほぐれていく。
 あなたの傍にいること。
 あなたと一緒に存在すること。
 それが私の幸福。
 ――なのに、それでも、思ってしまう。
 世間の恋人同様にその聖なる夜は共に過ごしたいと。
 ここ数年クリスマスはおろかクリスマス・イヴですら共に過ごした覚えはない。
 それでも、今年こそはと思ってしまう。
 年に一度の大切な日だから……。


 クリスマス・イヴの夜。
 流石に早く帰宅する同僚をよそに、待ち合わせの時間まで私は腰を落ち着けてじっくりと仕事に取り組んでいた。
 「あれ、先輩、今日残業してて大丈夫なんですか??」
 10歳年下の新人が急ぎの決済の書類を持って飛び込んで来た。
 「部長は今日は出張だから印鑑は無理よ」
 「え――っ、マジですかぁ??」
 へにょんと眉尻を下げて新人は困った顔をする。
私は書類を受け取ってぱらぱらと中を検分してからコピーをとり、コピーの方へ代理の印鑑を押して彼女に渡した。
 「これ、私の印鑑押しといたから、コピーの方を流しちゃっていいわよ。明日朝一番で部長に印鑑もらって持って行ってあげるわ。差し替えれば問題ないから……」
 「有難うございますぅ」
 目の前で拝まれて思わず苦笑してしまった。
 「これに懲りて書類は提出期限を守ってね。期限に間に合わないって言う事は後から完璧な書類を提出したとしても“ゼロ”なのよ。100点の書類じゃなくても提出して。何か問題があるとしてもそこから始めましょうよ」
 「先輩……」
 私の勤める会社はそこそこの中堅なので新人教育があまり徹底されていない。この子の教育係は誰だったかと思い出しながら、さりげなく聞こえるように説教をする。私も新人の頃はいろんな人に助けられていたから。
 でも、指導する立場になったという事は年をとったなぁと思わずしみじみとしてしまった。
 「先輩は今日約束してないんですか??」
 「約束? ええ、約束はしているけど遅いの。それに恋人は残念ながら昨日から出張してて明後日にしか帰ってこないのよ」
 「うわーっ、それって寂しくないですか?」
 「え、ええ。私も恋人もクリスチャンじゃないし。特別な思い入れはないのよ。でも……」
 ふと、おしゃべりが過ぎたことに気づいて私は言葉を濁した。
 「さ、もう帰りなさい。あなたは約束があるんでしょう?」
 「は、はい。先輩、有難うございました。その、明日、宜しくお願いします」
 ふわりと照れくさそうに幸せそうに微笑んで頭を下げて去って行く。
 幸せな恋愛をしているんだな、と。確信させられるような柔らかな笑顔。
 最近、私はあんなふうに幸せな顔で笑えているんだろうか?
 両手で自分の顔を挟むようにして私はぼんやりと愛するあなたの事を考えた。


 その朝かかって来た一本の電話で私はその日会社を休もうかと思ってしまった。
 エステに行って美容院へ行ってとっておきの服を着てばっちりメイクをして着飾ってつるつるのピカピカの一番の自分になって会いたいと思ってしまった。
 それから暫く考えてすべてをやめて出勤した。
 現実問題、無駄な休暇を取ればその分年末年始の休暇に食い込んでしまう事は明白だったし、相手はつるつるのピカピカになった完全武装の私に会いたいわけじゃないだろうと推測して。
 初めて会うのだけれど、きっとそんな人。
 だって、私の最愛の人をこの世に送り出してくれた人だから。
 気持ち的には恐怖も大きい。
 あなたが傍にいないのに私ひとりであなたのお母さんと対峙しなければならないというのは胃がキリキリするようなストレスがある。
 けれどもそれを理由に断らなかったのはあなたと言う人を育て上げた人がただ私達の関係を非難する為だけに上京してくるとは考えられない。
 それも、その特別な日に……。


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二人の日常

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