■ 家
 絶望的なメールをもらった。
 明日納期の仕事が上がってやっと家に帰れるのに、恋人が明日から出張だと言うのだ。
 思わず握り締めた携帯がミシリと音を立てたので慌てて手放す。携帯にあたっても仕方が無いのだ。
 明日会えるからと頑張って仕事をしてたのに、あと三日先になってしまった。
 重い気持ちのままそれでも入力作業を続ける。
 仕事の納期は明日の午前中だ。
 もし、何の問題も無ければもしかしたら見送りに行けるかも知れない。
 けれども相手に淡い期待を持たせて約束を守れないとなるのは嫌だったから何も告げない。
 一人仮眠もとらずに徹夜で作業を進める。
 一刻でも早く終わらせて、確実に会えると安心したいのだ。
 結局延び延びになり午後一に先方へ収めることが出来た。
 昼食も食べずに飛び出して早退する。
 飛行機の便名も時間も行き先も判ってる。
 後は私の身体が間に合うだけだ。
 電車に揺られながら、そう言えば徹夜明けで昨日はシャワーすら浴びてないとか、化粧をしてないとか髪の毛を梳かしてないとか、服だって制服のままだった。
 着替えてきて身だしなみを整える時間すら惜しんでしまった。
 それでも会えないよりはいい。
 空気が無ければ死んでしまうように、彼女が足りないと私も死んでしまうから。
 徹夜明けの身に、暖かい車内と心地のいい揺れが辛かった。眠りに引き込まれて乗り過ごしてしまえば確実に会えなくなる。
 ここまで来てその結末は絶対避けたい。
 うとうとする度に両手で自分の頬を叩き、私は耐えた。



 短い逢瀬を終えて帰宅すると、寝室に直行する。
 着替えるのも億劫で制服だけ脱ぐと下着のままベッドに潜り込んだ。
 仄かに香る恋人の匂いに、先刻のこぼれるような笑顔が思い浮かんで心がじんわりと温かくなる。抱きしめた華奢な身体はやはり柔らかくて何度抱きしめてもドキドキする。
 ドキドキするけれど同時に優しい気持ちになるのだ、不思議な事に。
 うつらうつらとそう考え、いつしか私は眠りに引き込まれて行った。



 目が覚めたのは夜中の3時半。
 そう言えば昨日はお昼も夜もご飯を食べてなかった。
 シャワーを浴びてキッチンへ行くと鍋の中には私の好きなミネストローネが出来ていて、冷蔵庫の中には恋人の作ってくれた料理がぎっしり詰まっていた。
 そしてダイニングテーブルの置手紙に気がつく。
 会えないと思って書いていったのだろう。
 彼女の筆跡を指で辿る。
 まるで彼女の性格そのものにおおらかな文字と内容に、こみ上げてくる熱量のある幸福に私の目から涙が滴った。
 お帰りなさいと挨拶から始まり、お疲れ様とねぎらってくれる。最後のくくりを行ってきますとおやすみなさいで閉じたその手紙を私は胸に抱き締めた。
 彼女がいなくてもこの空間はまさしく彼女そのもので私を癒し愛してくれる。
 ここが私の家なのだ。
 彼女が存在するここが、私の家。
 私は常にここに帰り、ここから出かけてゆく。
 それを永遠に繰り返すことの出来るその気が遠くなるような幸運に、全身が打ち震える。
 何気ない日常が幸福だと身を持ってよく知っている。
 「早く帰っておいで。私達の家はここだから」
 帰って来たら笑顔で迎えよう。
 そしてお互いに足りない部分をうめあうのだ。からからに干乾びた心を二人で潤わせ合うのだ。
 心まで温まる食事を噛み締めながら、想像するだけでうっとりするような濃密な二人の未来を想像した。
 恋人への愛情だけで今日も一日頑張れる。早く明日になればいい。


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二人の日常

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