■ 田 舎
 「もう許してやってよ……」
 一つ違いの弟に声をかけられた時、私は何を言われているのか判らなかった。
 まるで双子みたいといわれた私達姉弟だったのに。
 私の記憶は容易に過去へと引き込まれていく――。


 私には両親と二つ違いの兄と一歳年下の弟がいる。その兄弟には現在それぞれ連れ添いがいて子供がいる。
 私の生まれた家は田舎で旧家とか土地の名士とか呼ばれる事が多い。私達三人兄弟は父や母がそうであったのと同じように上京し大学に通った。卒業後跡継ぎの兄は田舎へ戻ったが私と弟はそのまま残って就職した。
 長男大事と分け隔てて育てられた私達姉弟は明らかに兄とは遠い存在だったけれど、私と弟はそれこそ犬や猫の子のように転がるようにして一緒に育った。それは田舎という体質ゆえの特異性だったかもしれない。だから両親や兄の知らない互いの秘密を私達はいつも共有していた。それは大きくなり上京して大学生になった頃まで続くある種奇妙な関係だった。普通の姉弟よりはとても濃い関係。
 濃いとはいえそれは当然兄弟の関係を逸脱するものではなかったけれど。


 そして私は彼女に出会い、弟は今は妻となった女性と出逢ったのだ。
 私が一番初めに彼女のことを切り出したのはその弟にだった。若く感性が似ている弟ならば私達のことを理解してくれるだろうと盲信して。
 話し終えた後、長い沈黙のすえ弟は困ったような顔をした。
 「それ、両親に話す気??」
 それから確認するようにゆっくりと私に聞く。
 私が勿論だと答えると彼はまるで知らない人のように噛んで含めるように私に告げた。
 「あのさ、老い先短い両親を心配させたり怒らせたり不安にさせたりするのやめにしない?」
 「え??」
 「少なくともお嬢の告白で両親は相当なショックを受けると思う。俺が答えるのはおかしいけどさ、百パーセント許される事はありえ無いよ」
 「――ヨウちゃん……」
 小さな頃から私と弟はお互いをちゃん付けで呼んでいた。いつしか弟からの私への呼びかけは“お嬢”もしくは“お嬢さん”に変化していったのだけれど。
 「俺から言わせれば、お嬢は自分が安心したいがために両親に認めてもらおうと思っているに過ぎないんじゃないかと思う。でもそれを両親に認めさせるのは酷だし、不可能だよ」
 「――ヨウちゃんも気持ち悪いと思う??」
 「や、気持ち悪いとかそうじゃないとかそれは個人の好みの問題だから俺がどう思おうとお嬢には関係ないでしょ?」
 「――ヨウちゃん……」
 「俺はさ、お嬢の事は尊敬してるし姉として好きだけど血縁者としてその性癖はどうにも歓迎できないよ」
 弟のきっぱりとした言いざまに私は目が覚めた思いだった。
 あんなに仲が良かった私達でも理解してもらえないのだ。両親や兄に理解してもらえるわけがない、理解してもらえるという甘い考えは捨てようと。
 但し、この先私を嫁に出そうとかそういった考えを捨ててもらうためにも、たとえ認めてもらう事がなくても一生の伴侶を得たという事を報告する必要があると考え、私は家族が揃った時にすべてを包み隠さずに報告した。――弟の忠告を無視して。
 私はその時に勘当され、現在に至る。
 だからお正月などのめでたい時には帰省せず、お盆の時だけお墓参りをしに帰省し、両親を説得しようと試みている。
 それがかれこれ、10年続いている。


 父は私が何を言おうとまるでそこに存在しないものとして扱う。
 母は困った顔をして、それでも元気そうで良かったと笑ってくれる。
 兄は私をこの家の面汚しだとののしり、嫌悪の表情を浮かべて叱咤する。
 弟はやっぱり困った顔でそれでも私と普通に話す。
 年月は彼らを変えない、私を変えない。
 そして弟が私にもう両親を許してやってくれと言った。
 「10年前から兄さんの考えは変わらない。お嬢を座敷牢に閉じ込めてそのままどこぞへ嫁に出そうと父さんに進言してる。
 父さんはすべてを黙殺しているよ。
 そして母さんはどんな風に思っていようと父さんと意見を違えるようなことはしない。
 お嬢がいくら頑張ったって俺達は変われない。
 もしここで父さんがお嬢を許したら父さんはこの田舎の小さな社会で生きてはいけなくなる。勿論兄さんもだ。
 でも、父さんは兄さんが言うようにお嬢を家に閉じ込めたり強制的に嫁に出したりはしなかった。それは父さんや母さんのぎりぎりの譲歩で愛情だと俺は思うよ。だからこれ以上の譲歩は出来ないんだよ。
 もう、自分勝手な気持ちだけを押し付けて認めさせようとするのはやめて変わることの出来ない俺や両親を、そしてお嬢自身を許してやってよ……」
 「ヨウ、ちゃん……」
 それはもう来てくれるなと言う婉曲な申し出だった。
 「もし、何かを悪だとするならば許容できない社会が悪だと思う。でも人間という種の存続を揺るがす禁忌タブーを容易に許容しないのは人間という種族として正しいし、しごく当たり前だと思っている。
 こんな結末になって俺達家族はとても残念だけど、それでも俺達はお嬢を愛してるよ。姉として、娘として、そして妹としてさ」
 「ヨウちゃん……」
 私と彼女の仲は永遠に許されないのだと宣言されたのに、どうしてか私の胸に温かなものが溢れた。
 私は私の家族が好きだった。だから彼らに認めてもらい彼女と私を愛してもらいたかった。でも、それは私のエゴに過ぎなかったのだ。
 子供だからといって兄弟だからといってすべてが許されるわけではない。そして許されないからといって私に対する愛情がなくなるわけではなかったのだ。
 黙認してくれる父に、それを支える母に、怒りで均衡を保とうとする兄に、そして誰よりも理性的に受け止める弟に、私は愛されている。それは私の身体に流れる血が彼らと同じだからという理由ではなく、私という人間を知るがゆえに愛してくれているのだ、きっと。
 「判ったわ。ありがとう。もう、来ない。何かあったら絶対に知らせて……」
 こんな田舎に私が同性の恋人を、伴侶を、連れて来たらたちまち大変なことになってしまうだろう。そして私はとうに田舎の適齢期と呼ばれる年齢を過ぎてしまっている。私がふらふらと毎年現れれば結婚はどうしたとか孫はいるのかとかいろいろと周囲が煩くなってしまうのだろう。田舎で生きる両親を兄を守るためにもう来るなと弟は言っているのだ。


 大切なものを大切な人々を守るために、私は生まれ育った家を故郷を捨てなければならない。
 どうしてこんなにも時間がかかったのだろう。
 どうして弟は今、このことを私に知らしめたのだろう。
 それが親愛の情だと判るから、私はすべてを捨てて家に帰ろう。
 彼女が待つ私の家に。


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二人の日常

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