■　逢　瀬

　「うそ……」
　口の中で呟くと膝が笑った。
　もし人前じゃなかったらきっと膝をついていた。
　偉いよ、自分。よく持ちこたえた。
　一瞬前までの浮かれ気分は綺麗さっぱり消え、どんよりとした気持ちのまま自分の席に戻った。
　明日から三日間、急な出張を言い渡された。
　急な出張は良くあるけど、稀に一週間以上の海外出張もあるわけだから三日で済んで良かったと言えば言えるのだろうけど……。
　明日の夜には会えるはずだったあなたにぐるぐるする頭でメールする。
　本当は声が聞きたいけれど、大事な仕事の最中だからぐっと堪えて。
　青息吐息が洩れてしまう。
　途中一度堪えきれずに電話で少し話したけれど、かれこれ８日あなたの顔を見ていない。
　こんな事は初めてで、それがこんなに辛いことだとは思っても見なかった。
　一目でいいからあなたに会いたい。
　戯れで撮った携帯画像を見つめながら、ため息と共に心が零れ落ちてしまいそうだった。



　空港のロビーでチェックインを済ませると幻聴が聞こえた。
　ああ、とうとうか、と苦笑したら背後から肘を掴まれた。
　びっくりして振り返るとそこにはあなたが。
　「し、仕事大丈夫なの？」
　「終わらせて来た」
　「あ、その、こ、こんなところで……」
　「いいから黙ってて。や、声も聞きたいからやっぱり文句でもいいから喋ってて」
　不意に抱きしめられた腕にうろたえる私の耳にあなたの柔らかな声が下りてくる。
　私はあなたの一言で簡単に懐柔されてしまう。ふき出してくすくす笑うとあなたの声はちょっと拗ねたようになった。
　「あんまり笑うとこのままそこのホテルに連れ込むよ」
　お互い大人でそんなことはしないと判っている軽い冗談だ。
　いかにもあなたらしい冗談で私の心はどんどん解れていく。
　他の人の目があるからと名残惜しげに腕をといたあなたを見つめる。
　「だいぶやつれたわね」
　「ん、お互いさまかな」
　そして二人でまた笑う。
　あなたと共に笑うごとに私のカチカチだったぎすぎすしてささくれだった心が柔らかくほどけていく。
　そしてその幸せな時間はあっという間に無粋な搭乗のアナウンスに掻き消された。
　「あいしてる」
　唇の動きだけで伝えると、あなたは目元をうっすらと赤く染めて、私に眩しいよな眼差しを向けた。
　形のいい唇が声無く言葉をつづる。
　「あいしてるよ」
　それはあなたから送られる大好きな言葉の一つ。お互いにそうそう口にする言葉ではないけれど。
　「行ってきます」
　「頑張っておいで」
　後ろ髪を引かれつつも振り切るように歩き出す。
　そうしなければ永遠にそこから離れられないことを判っていたから。
　心だけはあなたの元へ残して――。