■ 旅
 早朝からホテルをチェックアウトして予約していたレンタカーを借りる。走行距離を考えて大きめの車。
 運転は私の方が好きだから荷物とまだ眠たげな彼女を乗せて少しだけ南下して山の方へ。
 30分も走ると目的地に到着する。少し早めの時間だったため道が空いていたのだ。それに山を下るならいざ知らず平日に山を登るのは観光やレジャーの客ぐらいなのだろう。
 「きゃぁあっ、すごい!!」
 車内から既に歓声を上げていた彼女は車が止まるとまろぶように飛び出した。文字通り飛び上がらんばかりに喜んで惜しみない感嘆の声を上げる。
 そこに広がるのは一面のひまわり畑。
 折角はるばると来たのだから普段見られないものを見ようと調べたのだ。私も彼女も花が好きだからきっと良い思い出になると思ったのだ。
 三脚とカメラをセットして二人で並んで写真を撮る。
 早朝で他に人影が見当たらないから手を繋いで。それから肩を抱き合ってもう一枚。それから、ちょっと悪戯心で彼女の頬にキスしながら更に一枚。連写になっていたのでその後の彼女のびっくりした顔と私の笑い顔もカメラに収まったはずだ。
 彼女は見知らぬ土地でいつもより奔放に振舞う私に少し困惑しているようだった。
 でも、本当はいつだって素のままの自分でこんな風に彼女とじゃれていたい。でも、私達は生きていかなきゃならないから、いろいろなものを我慢して押し殺して日常を暮らすしかない。
 「もう一つ見せたい場所があるんだ」
 一面のひまわり畑を堪能した後、少しだけまた車で移動して同じ山の中腹に咲く黄色いコスモスの花を見た。ひまわり畑のような派手さはないけれど固まって咲く黄色いコスモスに、そしてその香りに癒される。そして私の隣に彼女が居て笑っていると言う事が一番私を癒してくれた。
 そのまま今度は山を下って海の方へと車を走らせる。
 夏休みとはいえ平日のそれほど人がいないビーチで私達はパラソルや椅子、ボートを借りて2時間ほど海水浴を楽しんだ。
 太陽が中天へ昇り日差しがきつくなる。
 昼食の時間になったので撤収して海の見えるレストランで新鮮な海の幸がふんだんに使われている食事を取った。
 「美味しい! 幸せっ!」
 輝くような彼女の喜びの表情に私の気持ちもぐいぐい引っ張られてどこまでも浮上する。
 断崖に砕ける白い波頭を見下ろしながら私達は長い間黙ったまま食後のお茶を飲んでいた。私はひどく幸福でただ彼女が傍にいるだけで沈黙ですらも胸を温かくするのだと再確認させられた。
 ゆったりとした時間を過ごしたレストランを後にして有名な漁港の市場へお土産を物色しに行く。昼食後少し眠くなってしまったのでそこまで彼女に運転を代わってもらって少しだけうとうとした。隣に彼女がいて車の振動が心地良くてとろりとした眠りに落ちてゆくことができるのはなんて幸せな事なんだろう。
 ほんの少しうとうとしただけで到着。
 蟹やらイカやらを宅急便で私達の家に送る。それから私の実家へも。
 「あ、実家にも??」
 あて先を書いている私の手元をのぞいて彼女が少しびっくりしたように言った。
 「あ、うん。多分お盆に一度戻るから……」
 その話は家に戻ってからしようと思っていた。今、この楽しい時間にしたくなかった。
 私が口ごもると彼女はそれ以上は追及しなかった。
 「じゃあ、私もお母さんに何か買おうかなぁ」
 「え、うちに送った分からおすそ分けでいいんじゃない? うちも君の母上もたくさんあっても食べきれないし」
 「あ、そうか。それでうちに送った分多かったんだ〜。どうするのかなぁって気になってたんだけど」
 彼女が納得して柔らかに破顔する。その無邪気な様子に私は密かにホッと胸を撫で下ろした。自分勝手な考えだろうけどこんな場所で込み入った話をしたくなかったから。
 買い物を終えてレンタカーを返しに戻り、荷物を駅のコインロッカーに押し込んで少し早めの夕食をとる。
 二日目の花火を見て最終の新幹線で戻る予定だ。彼女も私も明日は仕事だから。
 前日よりは少な目のアルコールを買ってまた川原までぶらぶらと歩く。勿論はぐれないように手を繋いで。
 彼女の少し汗ばんだ華奢な手に、不意に私は目の奥が焼けつくような痛みを覚えた。幸せなのに、幸せすぎるのに、泣きたくなるような、心を揺さぶられるような情動を覚えるのはとても不思議だ。
 「そう言えば今日も浴衣着られなかったね。折角持ってきたのに」
 ちょっとだけ唇を尖らせる彼女に、
 「いいじゃない。地元の花火大会だってたくさんあるんだし」
 「だって、きっとこうして手を繋いだりはできないから」
 彼女が少しだけ強く手を握り返してきた。
 確かに、知っている人間が多すぎるから、こうして手を繋いで歩く事はもうないと思う。でも、
 「手は繋がってなくても、たとえ一緒の空間にいなくても、心はいつも繋がっているよ……」
 普段言わないような恥ずかしい言葉を口にしてしまうのは日常のしがらみから解き放たれているからなのか。
 私の台詞に一瞬凍りついた彼女が柔らかに笑み崩れた。
 「それ、素敵ね。どんなに遠く離れても心はいつも繋がっているのね」
 私のたわ言を冗談のように笑い飛ばさない彼女が好きだ。こんなに愛している人間はいないと思うほどに。
 抱き締めたい衝動に駆られた瞬間、大気を揺るがして花火が上がった。色とりどりの光が私達に降り注ぐ。それほど大きく間近に感じる花火を見るのは今回が初めてだ。
 「何度見ても綺麗ね。圧倒されるわ」
 眩しそうに目を細めて彼女が夜空を見上げる。
 一瞬の華やかさに目を奪われるけれどその向こうには星が瞬き、毎日姿を変える不実な月が回っているのだ。目に見えないけれど、見ようとしないけれどそこに確かに存在するもの。まるでそれは私達の愛情のようだ。
 ぎりぎりまで花火を見て、最終の新幹線の時間に間に合うように会場を離れた。
 「楽しかったね、また来たいね」
 その笑顔を見られるなら毎年何とか都合をつけて訪れるのも悪くない。
 新幹線の車内はきついくらいにエアコンが効いているので私達は上半身に上着をかけて、その下で手を繋いだ。疲れきった彼女が瞬く間に眠りに落ちていく。その安らかで幸福そうな寝顔を見て私の胸に温かな幸福が宿る。それは彼女へと向かう私の愛情、熱量だ。
 この手は絶対に離さないから。何があっても――。
 繋いだ手を起こさないように少しだけ強く握りなおす。
 そして自分も心地良い疲労にとろりとした眠りに落ちてゆく。
 何度でも一緒に旅をしよう。
 人生は一生の旅だというけれど。


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二人の日常

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