密やかな吐息 壱
○ 名前 ○
――たった一つのそれはこだわり。
グループの一人が不意に気付いたかのようにそう言った。
三つ編みお下げに眼鏡だけど美人で秀才の
私はこの女が苦手だった。
もしかしたら一番初めに気付くのは彼女じゃないかと危惧していたからだ。
繊細な人差し指でひょいとずり落ちた眼鏡を持ち上げると美人の級長は私にウィンクして見せた。
どんな意図があるのか知れないがちょっと不安定な気分になる。
「でもどうしてかな〜? 名字で呼んでるのって巴御前ぐらいじゃない?」
「巴御前ってやめてよ、下級生がマネするから」
私は慌てて訂正する。
「あら、ごめんね、嫌だった?? でも巴御前は私が言い出したわけじゃないけど。どっちかっていうと下級生のマネしたのよ、私」
にっこりと笑う美人に悪魔の尻尾が見えるのはきっと私だけに違いない。
「ふふふ。リカコの事“椎名”って呼んでるの巴ちゃんだけだなって思って。どうしてかなって」
「そう言われればそうだね」
居合わせた面々が口々に同意する。衆目が集まってこの場に当の本人がいないことを信じてもいない神に感謝する。
「――理由なんてないけどなんか言いやすいから」
もっともらしく嘘をつく。
面倒くさがりの私らしい返答だと思う。だから大丈夫。ちらりと凛に目をはせると彼女は噴出すのをこらえるような顔で笑っていた。
ば、ばれてる??
椎名リカコはこの学園の女子部のアイドル的存在だ。もちろん男子部でも絶大な人気を誇るがそれはある意味蚊帳の外のことなのであまりかかわりはない。
上級生や同級生には“リカコ”、下級生には“リカコ先輩”と呼ばれている。
そのリカコを私が“椎名”と呼ぶのがどうやら級長は気になるらしい。
正確には“椎名”と呼ぶのは私だけではない。教育者達は一様に彼女の事を名字で呼ぶ。
ただ私は誰もが呼ぶ“リカコ”という名前を皆と同じように呼びたくないのだ。だから“椎名”ではなく“シーナ”と呼んでいる。
何も言わず何も伝えない、私の気持ちの集約されたもの。
――それはたった一つの私のこだわり。