密やかな吐息 伍
○ 涙 ○
睫毛にたまった涙に唇を寄せると、彼女は頬を染めてはにかむように微笑んだ。
例えば有栖川巴が太陽だとすれば、彼女は月のような存在だった。
例えば椎名リカコが牡丹だとすれば、彼女は白百合のような人だった。名前は桜子だけれど。
太陽に、百花の王に、目がくらんで初めは気が付かなかった。
けれども大切に大切に愛されて育った、子供のように純粋な少女にいつしか惹かれ、目を離せなくなってしまった。
だから潤んだような熱っぽい眼差しで彼女が有栖川巴を見ていることにすぐに気が付いた。
繊細で壊れやすい少女に意思を持って近づき、手を差し伸べ、強引に絡めとった。
純粋な少女は同士の出現に目を輝かせて喜び、心を許し、秘めたる心の全てをさらけ出した。
自分が手を握ればおずおずと握り返してくれ、柔らかな身体を抱き寄せればはにかみながら身を任せてくれ、思わず舐め取った涙にびっくりした貌をした後、頬を染めてうっとりと彼女は目を閉じた。そのまま唇をついばんだのはもう、自然な成り行きだった。
唇を重ねると、その想像以上の柔らかさと温かさに眩暈がした。
「はるひ……」
熱い吐息交じりに名を呼ばれて、理性を総動員して突っ走りそうになる自分を制御する。
私達は“アリス”に恋焦がれる同士にすぎない。全てを承知の上で心を偽って近づいたのは私だ。
すぐではなくていい。
私が傍にいなければ立っていられなくなるほど彼女を甘やかして甘やかしつくして、私無しでは生きられないほど居心地のいい存在となって、まるで身体の一部のようになって、いつか彼女の全てをこの手にする。
それまでは他者に恋焦がれ、泣く彼女を耐えながら見つめ続けよう。
今すぐでなくていい。
いつか、その時が来るまで……。