追憶 〜校庭の片隅で〜
柔らかな日差しがどんどん強くなってきた初夏の頃。
中庭の芝生の上でぼんやりと空を眺める女生徒を見かけた。
全ての表情が抜け落ちたような無機質な顔で、たった一人。
そう言えばここは初めて私が彼女達を意識し始めた場所だった。
予鈴が鳴って、中庭を横切って講堂へ向かう道すがら、話し声を聞いて、私は足を止めた。
午後の全校集会をサボタージュしようと生徒が潜んでいるのではないかと思ったのだ。
「あ、痛いっ」
「だめ、枝は折らないで」
繁みを掻き分けて声の方へ出ると涙目の少女と言い争うようなもう一人の女生徒を見つけた。
二人とも私が担任するクラスの生徒だった。
「どうしたの??」
私の問いかけに、ほんのりと頬を上気させて涙目の少女が答える。
「髪が枝に絡まって……」
確かにゆるく巻いた髪が枝に絡まってその頭を抑えて少女がうっすらと涙を滲ませている。
「――枝を折っては駄目って言うから、解いてるんです……」
もう一人の女生徒が少女の言葉を引き継いだ。
「あっ、痛い」
絡まる髪を解くのに引き攣れるのか少女の顔が僅かに歪む。
「どうして枝を折っては駄目なの??」
不思議に思って私が聞くと、少女は不思議そうに涙に揺れた大きな目を瞠った。
「折ったら木が痛いじゃないですか……」
そう言う少女の傍らの女生徒は驚くべきそのような発言には慣れているのか少しも表情を動かさず真剣な顔で枝と髪の毛と格闘している。
その不器用な指先に、私は手を重ねた。普通に絡まってこんな風にはならない。不器用な手で絡まりを解こうとしてきっと状況を悪化させたのだろう。
「これ、結び目が出来てるから解くのは無理ね。枝を折らないでとるなら、髪を切るしかないわ」
「髪を切っても構いません、また伸びるから……」
ぎゅっと目を閉じて痛みを耐えるように身を硬くする。私はポケットから携帯用の裁縫セットを出してその中の小さなハサミで絡まっている髪を切った。
主から切り離された髪が力を失ってハラハラと落ちる。
切ればこんなに簡単にほぐれるのに、なんとも不思議だ。
解放された少女がほっと安堵の息をつくのを感じる。
「まさか引きちぎるとでも思った??」
先ほどの必死の形相に私は思わず笑ってしまった。それから二人の背中を押すと講堂へ急ぐように促した。
あの日増しに日差しが強く痛くなりつつあった初夏の、それでもまだ幾分か風が爽やかだったあの日、私は彼女達をクラスの生徒の一人としてではなくそれぞれの気持ちを持つ一個人として認識するようになった。
その中庭で、お弁当を食べたり、おしゃべりしたりする二人を時々見かけるようになる。
「――まるで仲の良い姉妹のようね」
そのほほえましい様子に思わず不用意な言葉がこぼれた。二人は不思議そうに顔を見合わせた後賑やかな笑い声を立てた。
小鳥のように軽やかで花が笑うようにあでやかな少女たち。私は二人を見るといつも懐かしさに心揺さぶられて遠い日の過去の自分を思い出した。
あの、透明で輝かしかった少女の頃。周りの全てが輝いていて自分に優しかった。
その、懐古の気持ちがいつ、特別な思いに変わったのだろう。
いつとも知れない。
気がついたら私は自分のクラスのたった一人の少女をその目で追い続けていた。
別たれる、その瞬間まで。
そうじゃない。
何故なら今でも私は幻でしかない少女を見つめ続けているから。