【 大好きな気持ちはいつも変わらない 】
■大好きな気持ちはいつも変わらない
【 大切な気持ちはいつも変わらない 】
■前編 ■中編 ■後編
【 愛している気持ちはいつも変わらない 】
■ 前編 ■ 後編
【 湖のほとりで君の夢を見る 】
■ 湖のほとりで君の夢を見る
【 母の肖像 】
■1 ■2 ■3
愛してる気持ちはいつも変わらない 後編
静寂という言葉が相応しいほどシンと静まり返った営業所内。二人きりで、後ろから抱き締められていて、口から心臓が飛び出すんじゃないかと思うくらいびっくりして、心臓が早鐘を乱れ打つ。
「みな、こ……」
私が搾り出すような掠れた声を上げると、美奈子は長い首を傾げて私の顔を覗き込んだ。その動作に、すぐ耳元で美奈子の艶やかな髪がサラサラと音を立て、その音が信じられないほど大きくはっきりと私の耳に飛び込んで来た。
「びっくりした?」
ぎゅうぎゅうと私を抱き締めながら美奈子が声を立てて笑った。密着した背中から美奈子の笑いの震動が私に生々しく伝わる。
私は美奈子の温かな体温と仄かに甘い体臭を目一杯堪能した。美奈子の柔らかくて大きな胸が背中に押し付けられていて自分が男だったら鼻血ものだろうと、なんだか的外れな事をぼんやり考えてしまった。
そう言えば以前は美奈子からハグされることは殆どなかったような気がする。いつも私からハグしてた。スキンシップが大好きな私はいつもぎゅうぎゅう美奈子に抱きついていた。何も気付いていなかった無邪気なあの頃……。
不意に美奈子の手が机に投げ出されていた私の手を上から覆うように握った。
途端に現実に引き戻されて、思わず私は身体を震わせた。手の甲に重なる美奈子の手が火がついたように熱くて、自分の全身が痛いほどに脈打って、ぐるぐると眩暈が止まらない。
「ねえ、うらら。こんなに薄着で風邪ひかない?? ここ、冷蔵庫みたいに寒いし、手が氷みたいに冷たい」
そう美奈子に指摘されて始めて随分前に暖房が止まっていて、喋るたびにお互いの吐く息が少し白っぽいことに気がついた。
私の身体を解放した美奈子は私の座る事務椅子をクルリと回転させて自分の方へ向けると、再び私の手をそっと握った。彼女は薄手だけれど仕立てのいい肌触りの柔らかなオフホワイトのカシミヤのコートを着ていて同色のやはり薄手のカシミヤのストールを緩く巻きつけていた。
「私結構着込んでいるけど、この中にいても暑く感じないわよ」
暖房が切れていることにも、室内の温度がびっくりするぐらい下がっている事にも全然気付かなかった。気付かずに、私はぼんやりと考え事をしていたのだ。
そう、この目の前の、美奈子の事を……。
「どうして、ここへ……?」
ドキドキしながらも美奈子から眼を離せずにいると美奈子はストールを解いてふわりと私に掛け、隣の机の椅子を引き出して、座った。
「実は先週末に本社の営業三課の佐伯さんがうちのペンションに泊まりに来て、最近うららが元気が無いって言ってたからちょっと気になって出て来ちゃった」
佐伯君といえば入社当時から美奈子に夢中でいつも果敢にアタックしては天然の入った美奈子に見事にかわされていたっけ。
「あ、そう。ええと……。でも、いいの??」
「え、なにが?」
「だって今日イヴでしょ? 恋人と約束があるんじゃない?」
私の疑問に美奈子は明るい笑顔を浮かべた。
「いいの、いいの。だって結婚したらこうして一人でふらふら遊びに出る事も出来なくなるでしょ? だから最後の羽根のばし」
「ああ、そうか……。
そう言えば美奈子が結婚するって知って佐伯君ショック受けてなかった??」
「?? 何で佐伯さんがショックなの?」
美奈子の返答に私は思わず吹き出した。あれだけの猛攻がやっぱりちっとも通じてなかったんだと思うと佐伯君を可哀相だと思う気持ちと美奈子ってやっぱり大物だと感心してしまう気持ちと。
それから、報われない私の恋心と。全部を笑い飛ばしてすっきりしてしまいたかった。
「ねえ、そんなことより、今夜は泊まって行ってもいい?? 明日朝一で帰るから」
勿論いいに決まっている。時計を見るといつの間にか時刻は9時を過ぎていて美奈子が今から帰ろうにももう電車がない事が判った。それに久し振りに会った美奈子と職場で数分話しただけで別れたくはない。
もう、いつ会えるか判らないのに。
「今から行ってもどこもお店はいっぱいだろうから迷惑じゃなければうららのうちで食べない? 簡単だけどいろいろ作ってきたんだ。うららみたいに上手じゃないけど……」
そう言って紙袋をちょっと持ち上げて見せた美奈子の手を見ると、切り傷や絆創膏が痛々しく指先を飾っていた。綺麗に整えられ上品な色に塗られた形のいい爪。その綺麗な指先を傷つけて用意してきた食事。
着々といい奥様になるために努力し前進している美奈子。
そう思うだけで呼吸もままならないほど息が苦しくなって、焼け付くような痛みが胸を刺す。
私は滑稽なほどの自分の動揺を悟られないように手早く身の回りを片付けて美奈子をその場に残し、まるで逃げるかのように更衣室に着替えに行った。
美奈子が巻き付けてくれたストールにそっと顔を寄せて美奈子の香りを胸いっぱいに吸い込む。
「――愛している……」
私の囁きは人気のない更衣室で誰に聞かれることもなく美奈子のストールに吸い込まれて消えた。
私の家に行くために連れ立って外に出ると、外界は楽しげで賑やかなどこか浮かれたようなクリスマスの装い。
そこに似つかわしい美しい人の横を歩きながら、痛む心を抱えて。
今晩一晩美奈子と過ごすのだ。
きりりと冷えた空気が胸をシンと冷やし刺し貫く。
もうすぐ人妻になってしまう、親友。
でも、本当は絶対秘密の私の思い人。
凍えてしまいそうだ、と思った。
息を吸う度に胸を刺す冷気に、長い長いため息は白くきらきらと宙に散る。
いっそ、このまま凍りついて何も感じない人形になってしまえたらどんなにいいだろう。
きらびやかで賑やかで華やかな眩いほどのクリスマスの電飾に眩暈がするほどに幻惑されて、私はゆっくりと目を閉じた。
――愛している気持ちはいつも変わらない。
END