【 大好きな気持ちはいつも変わらない 】
■大好きな気持ちはいつも変わらない
【 大切な気持ちはいつも変わらない 】
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【 愛している気持ちはいつも変わらない 】
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【 湖のほとりで君の夢を見る 】
■ 湖のほとりで君の夢を見る
【 母の肖像 】
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母の肖像 2
父が蒸発してしまったため、私達は農業を営む父の生家を出て、母の実家へと身を寄せた。
そこで私達はとても穏やかで安らかな日々を送った。
けれどもその至福ともいえる平安は長患いの末に祖父が他界してしまった事で終わりを告げる。
祖母と母、そして私の、3代にわたる女だけの生活がはじまったのだ。
もうすぐ40歳に手が届くとはいえまだ若く綺麗だった母に祖母と親戚一同は降るように縁談話を持ちかけた。母は言葉なく、けれども穏やかにそのすべてを固辞した。
私はずっとそれは私がいるせいだと思っていた。
母が私を思ってくれているから。
私が母の足枷になっているのだと思っていた。
そんな時、母のOL時代の同僚だという一人の中年女性が我が家を訪れた。
私は11歳。母は39歳だった。
その女性は中肉中背できびきびとした動作の優しそうなおばさんだった。美人ではないけれど笑顔がとても感じが良かった。
「はじめまして、日向です。昔あなたのお母さんと一緒の会社で働いていたの。あなたが生まれる前に一度こちらに遊びに来た事があるのよ」
「は、はじめまして。初音です」
田舎暮らしでブランドにうとい私も知っている有名ブランドをさりげなく着こなし、洗練された物腰のその女性に、私はどぎまぎしながら挨拶を返した。
私は何も知らなかった。
そしてその日向と名乗る女性もまた何も知らなかったはずだ。まだ、その時は。
祖父と言う大黒柱を失った私達は人手不足もあり、家業のペンションを廃業する事にしたのだ。
その知らせを受けて母の友達はペンションを惜しみに来てくれたのだと言う。
私はその日、お客様だと言うのに母のOL時代の話をせがみ、信じられないほど楽しい夜を過ごしたのだった。
母の友達は翌日仕事が立て込んでいるからとすぐに帰って行ったけれど、その日からちょくちょく母は日向さんに会いに上京するようになった。
家業も廃業し、暇になったと言うのもある。
都会に出て仕事を探すつもりだという話も聞いた。
日向さんは独立してパートナーとイベント会社を経営しているらしく、もし就職先が決まらなくてもそこで使ってもらえるらしいと言う話も出ていた。
それには祖母が大反対し、母が再婚して男手を得ればペンションを続ける事が出来るのにとよく私にこぼしていた。
このペンションは祖母と祖父が一代で築いたもので祖父が亡くなった今、祖母にとっては愛着もひとしおだろう。それは判っていたけれど生まれてからこんなに生き生きとして綺麗な母を見た事がなかった私は私のためでも両親のためでも、勿論別れた父のためでもない、母自身の人生を生きて欲しいと子供ながらに母を応援していた。
いつしか私と母は上京し、日向さんと同居する事になっていた。
そうしてやっと私はいくつかの不思議に思うことを母に質問しなければならないと感じたのだ。
日向さんのパートナーである同棲中の男性とも一緒に住むのか。
母の就職先はどうなったのか。
そもそも何故同居なのか。私達が日向さんと同居しなければならない必要性が理解できないという事。
そして一番大事なこと。
祖母はどうなってしまうのか。
私は、母が仕事を見つけて上京し、母と私と祖母と三人で都会の片隅で暮らしていくのだとばかり思っていた。
母のプランの中にはたった一人きりになってしまう祖母が組み込まれていなかった。
他人に頼って寄りかかって生きていくならばこの場所から離れるべきではないと子供ながらに感じていたしその違和感を拭えないでいた。
すると母は暫くの間私の目をじっと見つめて、それからゆっくりとすべてを語ってくれた。
すべてといってもそれは母の気持ちとそして母から見た事の成り行きのみだったけれど。
「私、20年近く前からずっとうららが好きだったの」
その告白は幼い私にとってそれこそ天地がひっくり返るほどの衝撃だったのだけれど、母はすべてを正直に真摯な態度で幼い私に伝えようとしていた。
「短大を卒業して就職した会社の同期で、彼女は四大卒で入社してきて2歳年上だった。頭が良くて溌剌としていて気さくで親しみやすくて年齢など関係なく私達はすぐに仲良くなったわ。田舎育ちで人付き合いが苦手な私にとってうららはすべてだった――」
うららと言うのは日向さんの事だ。日向うららさん。母と日向さんはお互いに名前を呼び捨てにし合っている。
「待って待って、母さん。
好きってさっき言ったけど、それはお友達としてでしょ?」
母はゆるゆると首を振ってほんのりと笑った。
「親友だからこんなに大好きなんだとはじめは私もそう考えていたわ。でも、変でしょ? 24時間、意識がある時はいつもいつもうららの事ばかり考えてしまう。うららは今どうしているかしら、とか、頑張っているかな、幸せかな、ちゃんとご飯を食べているかな、今はお風呂に入っているかしら、とか。いくら親友でもそんな風に毎日毎日うららの事ばかりずっと考えてる自分に気付いて、この気持ちはきっと愛だと思ったのよ。
愛だとわかったらすべてが納得できたわ。
そして私は徐々にうららから離れようとした。
だってうららは正真正銘のストレートだし、私達の間はそれこそ友人以外のなにものでもなかったから」
「うららと距離を置くのは簡単だったわ。うららは仕事が忙しくて私の事や他の雑事に気を回している余裕も無かったし。
私達は毎朝受付で挨拶を交わして、時々ごく稀に一緒に食事をして、滅多にないけれどうららがちょっと荒れ気味の時に飲みに行く程度の軽い友情を保っていた。私がそうありたくてそれを望んだから……」
そして5年の歳月が流れ、母は自分の中から日向さんを追い出すことをすっかり諦めてその気持ちを抱きつつ、自分が日向さんの前から姿を消す事を選んだ。そうしなければ母の気持ちがいつか暴走して、日向さんにすべてを打ち明けてしまいそうだったからだと言って母はあえかに苦笑した。
「会社を辞めて実家に戻って、そして幼馴染みのあなたのお父さん、達彦さんと結婚してあなたが生まれた。
あなたが可愛くて可愛くて自分の命よりも大事で何よりもの宝物で、だからもう、うららへの気持ちは薄れたのだと、うららを忘れたのだと、思っていたわ」
なのに、母は父に指摘されたのだ。
「お前は誰を愛しているんだ? 俺じゃない誰がその胸に住んでいるんだ?」
と。
その時母は雷に打たれたように全身がびりびりと痺れて激しい眩暈を覚えたらしい。
「私の心から少しも欠ける事のないうららへの恋情。達彦さんは私を愛してくれたがゆえにそれに気づいてしまったのでしょうね。私でさえもう風化してしまったと思っていた心の奥底の私の真実に」
母は父の名を呼ぶ時、少しだけ悲しそうな顔をした。
父と母は幼馴染みで母は三つ年上の父を本当の兄のように慕っていたらしい。でもそれは恋情ではなく家族に対する親愛の情に過ぎない。
「それで?」
今はどうなっているのか。昔話より私はそちらの方が気になった。私には母の片思いの相手に母と一緒に世話になるという事の方がずっと由々しき事態だった。
「大丈夫、同居なんてほんの少しの間だけよ。就職先が決まって住む場所を見つけるまでのほんの少しの間」
「あのさ、日向さんにお世話にならないで両方が決まってからここを出るわけにはいかないの?」
「そうね。そう考えるのがマトモな人間の考え方だと思うわ」
「じゃあ、なんで――」
「きっと最初で最後のチャンスだから。うららの一番近くにいられる。近くでうららを見ていられる。
だから私の我儘を許して。
ほんの少しの間だから。
この気持ちは絶対に告げないし、このまま黙ってお墓まで抱えて行こうと思っているから……」
「かあ、さん……」
常識的に考えれば母の気持ちを日向さんが受け入れるわけはなかった。告げないと言う母の選択は恐らく正しいのだろう。
当時の私はとにかく自分の許容量より大きな問題にいっぱいいっぱいでその時の縋るような母の気持ちを理解することはなかった。
「だったらあたしはおばあちゃんとここに残るから。
就職先が決まって住むところが見つかったらあたしとおばあちゃんをそっちに呼んで。とにかく赤の他人と同居するのはイヤ……」
「どうしても一緒に来てはくれない?」
私は頑なに首を横に振り続けた。
今思えば母にとっては結局それで良かったのだ。けれども母の当時の思惑を考えると母の気持ちも判らなくはない。
”自分の命よりも大切で宝物である私”を傍に置く事によって自分の気持ちの歯止めにしようとしたのだろうと。
母の片思いの年月を考えると母の情念はとても深く強い。それはそら恐ろしいほどと言っても過言ではないだろう。
1ヶ月か3ヶ月か半年か1年か。そんなに長くはないだろう同居話。母の気が済むようにさせてあげようとその時混乱しながらも私は決断した。結局、その決断は私にとって良かったのか悪かったのか。
何故なら、あれから10年以上経った今でも日向さんと母の同居は続き、私と祖母はとうとう母に呼ばれる事は無かったのだから。