【 大好きな気持ちはいつも変わらない 】
■大好きな気持ちはいつも変わらない
【 大切な気持ちはいつも変わらない 】
■前編 ■中編 ■後編
【 愛している気持ちはいつも変わらない 】
■ 前編 ■ 後編
【 湖のほとりで君の夢を見る 】
■ 湖のほとりで君の夢を見る
【 母の肖像 】
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大好きな気持ちはいつも変わらない
久し振りにディナーを一緒にと誘われて私は一も二もなく歓迎した。
このところちょっと忙しくて久し振りだったのも大きいけれど仕事に忙殺されて職場の人間関係に疲れて家庭内のゴタゴタに巻き込まれてどこかで発散させなければ駄目になっちゃうと少しばかり弱気になっていたのだ。
だから渡りに船と気心の知れた友達とちょっと気張ったディナーをしてそのまま気晴らしの飲みに付き合わせようと思っていた。
月の小遣いと決めた額の半分近い金額のディナーは当然疲れた心と身体を癒すのに充分な威力を発揮した。
「美味し〜〜。幸せ――っ!」
私が喜びの声を上げると美奈子はよくとっつきにくいと言われる貌に柔らかな笑みを浮かべた。美奈子のその笑顔を見るといつもザマーミロって思う。だって皆は美奈子の本当の良さをわかってないから。この無口で無愛想でとっつきにくいちょっと美人の美奈子は私の同期で6年前の入社式の時からの友達だ。友達と言うのか悪友と言うのかはたまた親友と言うのか。
一緒にいて気を使わなくて、同期では一番気が合った。それでも喧嘩をする事もあるし、意見が食い違う事も良くあった。なのに気付くと一緒にいてやっぱり凄く楽しい。学生時代の友達は宝物だと言うけれど社会人になってからの友達も捨てたものじゃない。その美奈子のビジネススマイルじゃない笑顔を見ることが出来るほんの一握りの人間の中に自分が含まれていると思うだけで、その優越感にたまらなく気分が良くなる。
美味しい料理とワインと気心の知れた友人との他愛のない話に私は見る見る元気になっていった。
食後のデザートとお茶が出される頃には私は浮き浮きとした気持ちで月末の大イベント――このために私は休日出勤をしてまで忙殺されたのだ――の見所を滔々と美奈子に語っていた。仕事は遣り甲斐があるし、好きだ。でも忙殺されるのは違うと思う。仕事をするために生きているのではないから。
「ねえうらら、今日は私にご馳走させて」
ふと私の話が途切れた時に美奈子が静かに言った。
「え、何で? 奢ってもらう理由ないじゃん」
「ええと、ボーナスが出たから?」
「何で疑問形? ていうかボーナスなら私も出たわよ。同じ会社じゃない」
美奈子の不思議な言葉に思わず私は吹き出した。何ていうかいつも以上に会話に脈絡がない。ビジネスマナーや言葉遣いはしっかりしているのに私生活の美奈子は思ったよりもずっと子供っぽい。話もよく聞かないと判らないぐらいあちこちに飛んで脈絡がなくひどく唐突なのだ。
「あのね、私、今月末で会社を退職するの。それで今まで仲良くしてくれた、お礼?」
まるで明日の天気は晴れるらしいわよ、とでも言うような何気ない美奈子の口ぶりに私の思考回路はストップした。
「えっ?」
「うららはずっとプロジェクトで忙しかったし、言い出しにくかったのもあって、うららに伝えるのが遅くなってごめん。
人付き合いの苦手な私が会社勤めが出来たのはうららのおかげだから。
うららがいたから何とか続いたと思うの。
だから今日はご馳走させて、ね?」
「美奈、子……」
私は何て言っていいか判らずに息をつめたまま美奈子を見つめた。
月末って来週じゃんとか、そんなに急にとか、それより何よりどうして? とか、聞きたいことはたくさんあったのに一つも言葉にならなかった。ただ、毎朝受付に座る美奈子に朝の挨拶をして一日が始まると言うその日常がなくなる。たったそれだけなのに何ていう喪失感なんだろう。
「うらら……泣かないで」
美奈子が困った顔をしながらハンカチを出して向かいに座る私に差し出した。
びっくりして自分の頬を触るとそこは温かな水でひどく濡れていた。私、泣いてるんだ。物心ついてから人前で泣いた事なんてなかったのに、止め処もなく流れ出る涙に私はびっくりして凍りついた。
ハンカチを受け取らない私に美奈子は席を立って伸び上がり、そっとハンカチで私の頬を拭ってくれた。
「な…んで? 急に……」
拭ってくれた後に優しく手渡されたハンカチで目を押さえたまま私は何とか声を振り絞った。そこまで立ち入って聞いていいものかとさえ思いもせずに衝動的に。
「ずっと父が具合が良くないって話は前からしてたでしょ? その父が入院しちゃって。母一人だと手が回らないし、仕事を辞めて実家の仕事を手伝おうと思って」
「仕事って、ペンションの?」
「うん。そんなに忙しくないから実家から通って土日だけ手伝おうと思ってたんだけどやっぱり毎日通うのは遠いし、実家の仕事も半端になっちゃうから……」
実はもうすでに実家に戻って実家から通ってるのだと言う。
「だからさっき誘ってくれたこの後の飲みはパスさせて。帰りの電車がなくなっちゃうから」
だってまだ9時前なのに……。その言葉を私は涙と一緒に飲み込んだ。
「泣かないで、うらら。もう会えないわけじゃないのよ。だって私達友達でしょう?」
もう会えない訳じゃない。なのに涙が止まらないのはどうしてなんだろう。もう、受付で端正な姿勢で営業用の綺麗な笑みをたたえた美奈子の姿を見る事がなくなる。特別な事が無い限りは毎日見ていたその姿にもう会えなくなる。そう思うだけでぽっかりと胸に穴が開いたように感じる。
美奈子は友達だと言ってくれた。
でも、ただの友達じゃない。だってこんなに涙が出るのだから。
きっと、これが、親友って言うのかも……。
私は引き裂かれるような心の痛みに息も絶え絶えになりながら涙を拭って顔を上げた。美奈子のハンカチはもう絞ったら滴るほどにぐしょ濡れになっていた。
「私達、親友……だよね?」
普通だったら赤面モノのその鳥肌が立つような臭いセリフに美奈子は大真面目な顔で頷いた後、照れたようにほんのりと微笑んだ。
END