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 夢見るカラス

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夢見るカラス 1

 物心ついたときから、自分の異質さに気づいていた。
 それでも“いつかは……”と楽観している部分があって子供時代はそれほど不幸に感じることはなかった。
 けれども思春期になり違和感は本格的になって、その、気も遠くなるような孤独にうちふるえる夜をどれだけ過ごしたか、知れない。
 その時に自分の一生の人生設計をしたのは今思えばやはり間違ってはいなかったと思う。
 私はたった一人で生涯を生き抜くための人生設計を立てた。
 高校を卒業し、大学を卒業し、地方公務員になった。世の中でその職業は教師と呼ばれるもの。他人から「先生」と呼ばれそこそこの尊敬を受け、かつ生涯独身であっても生活に困る事がなく、一生を安心して過ごす事ができる、安定した職業の一つ。民間企業ではどう頑張っても女性は男性を凌駕することは難しいし、結婚しないと言う事で人間的欠陥があるとか一人前に認めてもらえないとかそういう弊害が生じる。勿論公務員でもそれは同様だけれども一つだけ違うのは生涯が保障されているという事。気に入られなければ飛ばされる事があっても辞めさせられる事はない。民間は社長や上司の一存でリストラされることがあるから。
 私は教師になり、公立高校に赴任した。
 そこは地域ではレベルの高めの学校だったが、のんびりとした校風の、地方ではごく一般的な学校だった。
 教師と言う仕事は思っていたよりずっと自分に合っていたようで、男子生徒も女子生徒も年齢が近いせいもあったけれども、とても慕ってくれた。新米教員の常として活動が盛んな運動部の顧問を押し付けられたりもしたがそれも新たな興味で私の生活を彩ってくれた。考え込む時間がないという多忙な生活は新鮮で楽しかった。
 夢中のうちに数年が過ぎて、ふと気がつくと周囲からしきりに見合いを勧められる年齢になっていた。幾人かの若い同僚からのアプローチと校長や教頭からの見合い話の猛攻に疲れて、私は早々に転勤願いを出した。
 そして、その赴任先が地域でトップクラスの女子高校だった。女子校のためか女性の教員が多く、年齢もさまざま、中ではかなりの年配の女性教員も独身だったりして、そこでの教員生活は思った以上に快適だった。もちろん、快適なのは私の性癖のせいでもあったけれど。
 女子校に赴任して3年目。初めて担任を持ったクラスで、私は彼女と出逢った。彼女は初対面から意志の強い瞳で私を射抜くように、まるで私のすべてを暴くように、私を教壇のすぐ前の席から見つめていたのだ。
 私はその無遠慮な視線にまるで小娘のようにうろたえて、初日のホームルームで何を話したのかよく覚えていない。
 彼女はまるで真夏の太陽のように強く、私の世界に姿を現した。



 私は国語科の教師で、書道教諭の免許と司書の資格を持っている。そのため図書館の司書の先生が休暇を取ると必然的に昼休みと放課後、司書の先生の代理として図書館の司書席に座る事になっていた。とはいえ貸し出しや返却などの作業は当番で図書委員がするので特に仕事らしい仕事はない。静かな図書館で本を読んだり、授業の資料を捜したり、いつも意外に有意義に過ごしていた。
 その日、クラス委員の少女が、私を捜しに来るまでは……。
 図書室に入って来た一人の少女は滑るような足取りで真っ直ぐに私の元に歩いて来た。
「先生、お時間いただけませんか? 相談したい事があるんです」
 少女は少し屈むようにして声をひそめて、座る私の耳元で告げた。
「お時間はとらせませんから」
「じゃあ、廊下に出ましょうか?」
「いえ、出来れば誰にも聞かれたくないんです」
 私は図書委員の二人に少しだけ席を外す事を告げて、司書室の鍵を開け、電気をつけて少女と司書室へ入った。狭い司書室は窓もなく蛍光灯もどこか薄暗い。掃除しているのだろうけれど、どこか埃っぽいような息苦しい感じがする。
 そうじゃない、息苦しく感じるのはこの狭い空間に少女と二人だから……。
 私はこの少女がとても苦手だった。
 美人で頭がよくて姉御肌で元気で明るくてリーダーシップがあって、未成熟ではあるものの均整の取れたプロポーションを有していて、自分の意見をはっきりと持つこの少女はひっそりと日陰の道を歩いて来た私とはあまりにも違いすぎた。そう、羨望と嫉妬と、多分私はそんな大人気ない感情で少女の存在に常に圧迫されていた。
「それで、お話って?」
 私をじっと見つめる突き刺すような強い眼差しに痛みを覚えて、逃れるように視線を逸らしながらクラス委員である少女に訊ねる。
「先生。――私、何か先生に嫌われるような事、しましたか?」
 はっとして顔を上げると、いつも勝気な表情の少女が僅かに目を伏せて、艶やかな唇を噛み締めていた。
「この半年、ずっと先生は私を避けていましたよね? このまま先生が私を避けるなら、私、後期はクラス委員をしません。――出来ません」
 少女の性格と才覚でおそらく後期も引き続きクラス委員に推薦されるだろうとクラスのすべてが、そして勿論私自身も当然のようにそう考えていた。
 その少女が、しないと、出来ないと私に告げた。
「先生は私をどんな人間だと思っているのですか? 私だって人間です。心があります。担任に避けられていてはクラス委員は出来ません」
 僅かに震える声に、精彩を欠いた表情に、私は自分がとても愚かしい事を、そして本当に大人気ないことを、いえ、それ以上に人間として最低な事をしていたのだと気づいた。
「――ごめんなさい。言い訳だけれど、あなたを傷つけるつもりはなかったの。
 あなたの事が嫌いなわけじゃないわ。でもあなたに見つめられると私はどうしていいか判らなくなってしまうの、だから……」
 だからどうなのだろう。咄嗟に口をついて出た言葉の意味にそして内容に続く言葉を失った。
「先生?」
 少女が一歩近づくと私は知らず後ずさった。私は酷く混乱し、何かを口走りそうな自分を畏れた。
 なのに少女は触れそうなほどに私に近づいてきて、息がかかりそうなほど近くで私をあの痛いほどの視線で見上げて、艶やかな唇で囁くように、なのにはっきりと告げた。
「――私、先生が好きなんです……」
 告げられた言葉の内容を理解すると、私の目の前は真っ白に爆ぜ、全身の血液が音を立てて引いていった。



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