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 夢見るカラス

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夢見るカラス 2

 キスしたくなるような魅惑的な唇に、吸い寄せられるように目が釘付けになる。背伸びして、腕を首に絡めればすぐそこには今にも唇を合わせてと誘うかのような蠱惑的な唇が。
 深く呼吸すればその息を肌で感じるほどに近くにいる先生に、告白した。一年以上も温めていたその気持ちを。
 私の告白を聞いて一瞬で顔面蒼白になった先生に、心のどこかでやっぱり、と思う。いくら女子校だからといって、別に同性愛を謳っているわけではない。ごく普通の性癖の、普通の人間が集まる場所だ。女子校の先生とはいえ同性に、それも生徒に告白されて拒否反応を示すのは当たり前だ。
 魂の抜けたような先生の顔を見たくなくて、目を閉じて両手をぎゅっと握り締める。こんなに近くに愛する人がいて、何かに激しく突き動かされるような、自分の中のどうしようもない衝動を抑えるために。
 ふと、傍らを気配が通り過ぎて私は目を開けて振り返った。戸口には後姿の先生。スラリと背が高く姿勢がよくて、ただ立つだけで、後姿でさえ私をぐいぐいと惹きつける。
「――今の言葉は聞かなかったことにするわ。あなたも忘れて……」
 低めの響きのよい声が私の耳朶を打つ。
「いや!!」
 私は思わず叫んでいた。先生がびっくりした表情で振り返る。
「私の気持ちをなかった事にしないで!!
 ――私の気持ちを受け入れてもらえないのは仕方がないけど。お願い、私の気持ちをなかったことにしないで!! たとえ先生が忘れても、私の気持ちはなくならないわ!」
 真っ黒で艶やかな髪をゆらゆらと揺らして先生は緩慢に首を振った。その口元には仄かな笑みが刻まれている。アルカイックスマイル。現実にこういう風に笑う人を先生という人物を知ってから初めて目にした。時々先生が浮かべるそのなんともいえない笑みを目にする度に私の中で痛みと焦燥感が募る。どうして先生はあんなふうに笑うのだろう。その笑みを浮かべた先生は穏やかな声音でけれどもしっかりと私を否定した。
「年上の同性に憧れるというのは思春期にはよくあることなのよ。それを恋と勘違いしてはいけないわ」
「違います!!」
「そうね。確かに私はあなた自身ではないから違うともそうであるとも確定できないけれど、それがもしあなたの言うように本当の恋だとしても、私が教師であなたが生徒である限りそれを受け入れることは不可能なのよ。私はあなた方のご両親から信頼をうけて、大事なお嬢さん達を預かって勉強を教える立場にいる人間ですもの」
「――先生……」
 吸い寄せられるようにふらふらと2、3歩前に出るとまるでそれを制止するかのように先生の声がかかった。
「どちらにせよこの話はここだけにしましょう。私を好きだと言ってくれて有難う。嬉しいわ」
 ノブを回す音がして先生の姿が消える。こんな風に宙ぶらりんになるために告白したわけじゃない。きっぱりとふられようと思ったのに。
 先生は教師だからと私を否定した。じゃあ、私が生徒でなくなれば受け入れてくれるということなのだろうか? その可能性を私の未練が捨てきれない。だって、あの日、あの時から、私にはずっと先生ただ一人だったのだから……。


 あれは中学3年生の真冬。
 高校入試の最初の科目の試験が開始してすぐに私は自分の生涯最大の大失敗に気づいた。ペンケースを開けるとシャープペンシルの芯が切れていて、他に2本用意してあった鉛筆の芯が、こんな事があっていいのかと思うほど偶然に2本とも折れていたのだ。勿論鉛筆削りは家に忘れて来ていた。
 当然受かると思っている入試のために気持ちにゆるみがあったと指摘されればその通りなのだけれど。鉛筆の芯は先ほどペンケースを落した時に不幸にも折れてしまったらしい。
 一挙に血の気が引いた私のすぐ傍らからその場にそぐわない穏やかな低めの声がかかった。
「顔色が悪いようだけれど、具合が悪いのだったら保健室で試験を受ける事もできるわよ」
 体臭なのか香水なのか仄かに甘い香りが鼻腔をくすぐり、真っ黒な長いストレートの髪が僅かに屈んだ為に、私の前でさらさらと音を立てた。
 そんな場合ではないのに、不思議と凛とした佇まいの女性に見惚れてしまう。
「大丈夫?」
 その女性の試験官の顔に心配そうな表情が浮かんで、私は我に返った。慌てて首を振り、筆記用具が使用不能なことを告げる。するとその女性はまるで私を安心させるかのように柔らかに笑って、教壇の上から予備の鉛筆を2本持って来て貸してくれた。
 私のようなうっかりな受験生のためにそれは当たり前のように常備されているものらしい。
 私が小声でお礼を述べると、
「――落ち着いて、頑張って……」
 女性の温かな手が、軽く私の肩に触れた。
 その後の試験の内容はよく覚えていない。機械的に回答を塗りつぶして気がついた時にはすべてが終了していた。その試験官の女性は始めの一科目だけの担当でその後の試験で見かけることはなかった。
 それが一目惚れだったと気がついたのは随分後になってから。
 入学式の時に教員席についていたその女性を真っ先に見つけて、舞い上がるような気持ちになった。その後の新入生代表の挨拶もあがってしまってぼうっとしてしまったというよりも舞い上がってしまって自分で読み上げたにもかかわらず実際よく覚えていない。
 落ち着いていて大人で少し影があって、美人で仕草がとても優雅なその女性は国語科の教師だった。選択科目の書道も教えていた。教師の中では比較的若くて生徒の年齢に近い先生はとても人気があった。もっとも女子校なので最大の人気者は教員2年目の若い男性教師だったのだけれども。
 高校に入学して1年も終わる頃、私はふとした偶然で二人の会話を聞いてしまった。
 低い男性声はとても聞き取りにくくて内容ははっきり判らなかったけれど若い男性教師が彼女に告白していたようだった。
 その瞬間目の前が真っ赤になって、私の全身が震えた。それが激しい嫉妬だという事に気づき、その時初めて私はその女教師、アユミ先生に恋している事を自覚した。
 アユミ先生は私が初めて目にする不思議な淡い微笑を浮かべてゆっくりと首を振ると何か否定の言葉を告げていたようだった。その内容は途切れ途切れに私の耳に届いた。自分は誰とも恋をしないと言う事、誰とも結婚しないという事、一生一人で生きていくつもりだという事。すっかり全部が聞こえたわけではなかったからその理由は判らなかったけれど、そんなような事を若い男性教師に告げていた。
 何がそんなにアユミ先生を孤高にするのだろう。私はそんなアユミ先生にますます惹かれていく自分を留める事が出来なかった。


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