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夢見るカラス 9
それから月日は流れ、あの時の厳かな誓いのような言葉通りに海野さんは私をあの心ときめくような強い眼差しで見ることはなくなり、3年生に進級すると理系の進学コースを選択した彼女は私の前にまったくと言うほど姿を表すことはなくなった。
これで良かったのだとホッとする心と、彼女を望む私の恋心が私を二つに引き裂く。それでも、彼女の輝かしい未来に泥を塗るような結果にならなくて良かったと自分自身を納得させた。
たとえ彼女の心がもう私には無くなってしまっても、それでも私はこのまま引き裂かれた心のまま彼女を愛し続けるだろう。
彼女はまるで太陽のようにそこに存在するから。太陽がなければ人は生きてはいけないから。
私は彼女に焦がれる事をやめられない。
この私にこんなに誰かを愛する事が出来るとは思わなかった。遠い昔にした恋はもっと淡くて柔らかでぼんやりしていた。もちろんその時はその時で幼いながらも私は充分真剣だったのだけれど。
けれどもこんな風に私を激しく揺さぶる恋は初めてだった。
相手は11歳も年下で、まだ子供といえる少女だったのに。
この恋は成就されなかったけれど、彼女に出会えた事を私は後悔しない。私の中にこんなにも激しいものが眠っているのだと気づかせてくれたから。私は生涯誰とも付き合わないし誰とも結婚しないけれど、今は胸の痛むこの気持ちもやがて甘くせつない思い出に変わっていくだろうから。彼女を愛したという素敵な思い出に……。
あの、太陽のような彼女が私を好きだと言ってくれた。私を愛していると、私を求めてくれた。その思い出だけで、私は一生幸せに生きていける。
そう、信じている。
私を好きだと言ってくれたもう一人の若い男性体育教師は私と顔を会わせるのが苦痛だったのかそれとも別の理由でか異動願いを出して春に転勤して行った。そしてその代わりにやって来たのが若い女性の体育教師だった。彼女は明るくて元気がよく、とても朗らかだった。
歳が近いせいもあってか私達は不思議とうまが合った。
「ね、歩先生……前々から聞こうと思ってたんだけど」
昼休みに体育教官室で一緒に昼食をとっている時にふと気がついたように彼女が言った。
「どうして黒い服ばかり着てるの? 好きだから?
先生はなに着ても似合うけど、折角美人なんだからもっと綺麗な色の服を着た方がいいと思うなぁ」
お箸で行儀悪く私の服をちょいちょいと指すようにして言う。
ふと、そう言えば今までこんな突っ込んだ話を誰ともした事がなかったということに気がついた。
私は酷く寂しい人間だ。
急に、まるで世界に自分一人しか存在しないように心もとなく感じてしまう。
けれども、ただ現在同じ職場にいるというだけの行きずりに近い相手にどこまで自分を見せてどこまで話せば良いのか判断できなくて私は黙り込んでしまった。
「あ、なにかこだわりがあって、って言うんなら無理には聞かないけど。
ただ生徒がね、噂してたのよ。
歩先生はまるでカラスみたいにいつも真っ黒な服を着てお葬式みたいだって」
「――カラス」
「あ、うん。そう言ってたかな?」
私は自然と湧き上がる嗤いを抑える事が出来ずに新米体育教師の不審な戸惑うような視線にさらされた。
生徒達は少女達は本当に良く見ている。よく判っている。――私の翼は黒いと。そして私の装束は喪服だと。
感受性の豊かな少女達の鋭い洞察力に私はすっかり裸にされていたのだ。自分だけが隠しきれていると信じていただけで。
「歩先生??」
私は自分がこの場所に相応しくないと感じて昼食を途中で中断して体育教官室を後にした。
この陽の当たる穏やかな空間に私は相応しくない。
女子校はとても居心地が良いけれど、私の性癖に気づいた敏感な少女達は不安に思うだろうから。
今年は海野さんと約束したからこの学校に留まったけれど、今度の年度末で異動願いを出そうと私は決意した。