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 夢見るカラス

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夢見るカラス 8

:微妙な表現が含まれています)

 恋焦がれた相手から告げられた“嫌い”という言葉は私の胸を深く切り裂いた。
 こんなにも愛しているのに、私は嫌われているのだ。
 その滑稽さにヒステリックな自嘲が私を襲う。気づいたら涙を流しながら身を折り、私は息を荒げて笑い転げていた。
 これは普通の恋じゃないから、嫌われて避けられるのだって覚悟していた。でも実際に好きな人から宣告されるのはやっぱり痛い。痛すぎる。
 己のあまりの愚かさに笑いは止まらない。
 あんなに優しい先生に“嫌い”と言わせてしまうほどに私は先生を苦しめてしまったんだ。そう思うと胸が焼け付くように痛んだ。愛する人を苦しめる恋なら捨ててしまった方がいい。
 私は何とか嗤いを納めて頬の涙を拭った。
 私が泣いていては先生がもっと苦しむだろうから。
 顔を上げると今にも泣き出してしまいそうな先生の気遣うような顔があった。
 その瞬間、私はおそらく殆どの事が判ってしまった。
 嫌いな人間にそんな気遣わしげな表情を向けるものだろうか。
 嫌いだったらどうして今まで私を庇うような言動をとっていたのか。
 そして言葉はともかくとしてけっして私を拒否しない先生の身体。
 その一瞬で私の顔は自然と緩んだ。
 先生は確かに苦しんでいる。けれどもそれは私を愛しているから。そうに違いない。自分が愛されていると考えると不可解な先生の言動もすべて辻褄が合う。
 いままで見えなかったすべてが見えてくる。
 先生の言葉を捉えて確認した。
 先生は震える声で、痛そうな表情で再度私を嫌いだと言い放った。
 間違いない。
 私は確信した。
 私達が両思いだという事を。もしかしたら私が思う以上に先生は私を大切に考えてくれているのではないかと言う事を。
 私が先生の心を暴くと先生は頼りない表情で視線を不安そうに揺らした。先生の黒曜石のような綺麗な瞳から涙が溢れる。
 先生は私を“嫌い”だとうわ言のように繰り返しながら胸を押さえて泣き続けた。
 綺麗にルージュのひかれた唇から搾り出すように苦しげな呟きがこぼれる。
「――たすけて……」
 それが本当に私に向けて求められたものなのかは判らない。誰に縋ろうとしたのかは判らない。その時先生の眼差しは私を見てはいなかったから。
 けれども、どうして先生を愛する私がその差し延べられた手を掴まずにいられよう。
 私は差し延べられた手を掴んで自分に引き寄せると先生の温かな身体を抱き締めた。少しでも先生の苦しみが軽くなればと何度も背中を撫でる。私の愛情が先生の不安を溶かしはしないかと、ぴったりと隙間なく身体を密着させて抱き締め続けた。
「どうしたら先生を助けられるか判らない。
 でも、ずっと傍にいるから。
 ずっと先生を好きだから……」
 先生の身体の震えが止まるまで私の中から溢れてくる愛の言葉を囁き続ける。
 やがて先生の身体から力が抜けて私にもたれるようになると、いくら先生が細身とはいえ流石にかなりの身長差があり、支え続けられずに、私も先生もその場でしゃがんでしまった。
 でも、しゃがんで良かった。
 私はしゃがんだ先生の傍で膝立ちになり先生の濡れた頬を唇で拭って長い優美な濡れ羽色の黒髪の上から何度も先生の頭を撫でた。それから絹糸のように細く滑らかな髪を梳くように撫でつけたり指に絡めたりして感触を楽しむ。
「先生が好き。大好き。先生のすべてに触れたい。私のものにしたい」
 目を閉じてなすがままだった先生の濡れた長い睫毛が震え、射干玉ぬばたまのような潤んだ瞳が現れる。その蕩けるような夢うつつの眼差しに心臓が早鐘を打った。
 どうしてこの人はこんな風にとてつもなく色っぽいのだろう。
 私が若いせいではなくて先生が艶っぽいのだ。
 先生の眼差しと表情だけで私の中をじんわりと温かなものが広がり、熱い塊がこみ上げてくる。
 それに名前をつけるとすればやっぱり欲情と言うしかないような、そんな熱が私を襲う。
 濡れた頬を吸った唇を先生のそれに重ねる。ついばむような軽い口づけを幾度も繰り返してから舌先で先生の唇の形をなぞるように辿った。口端をくすぐるようになぞり、下唇を唇で軽く食むように噛んで、ゆっくりと綻びる花びらのような唇を堪能する。先生のすべてを知りたい。先生のすべてを味わいたい。先生で満たされたい。
 綻んだ花びらから甘い吐息がこぼれるとそこから舌を差し入れて先生の口の中をゆっくりと愛撫する。
 獣のように貪るような片思いの一方的なキスじゃなくて、優しく蕩けるような両思いのキスがしたいから。記憶に刻み込むようにゆっくりと丹念に愛撫していく。
 奥で縮こまっている先生の舌をそっと舌先で撫でて、誘う。
 一方的に愛するのではなくて、愛されるのではなくて、愛し愛されたい。
 歯列をなぞり、上顎を擽り、ゆっくりと先生を誘う。答えてくれるまで何度も繰り返して。
 そのじれったいようなくすぐったいような動作に我慢しきれなくなったのかとうとう先生から私に舌を絡めてきた。
 ――好き、大好き。愛してる。
 心の中で呟いて先生の舌をやんわりと吸う。
 愛する人と交わす行為はすべて気持ちが良い。身も心も蕩けてしまいそうに。
 甘い疼きに急かされるようにキスを続けながら先生のカーディガンとブラウスのボタンを外しブラジャーのフロントホックを外す。ぶるるんと揺れる手に余る大きな胸を救い上げるように揉むと先生の身体が感電したかのように大きく震え、かつてない力で私を突き飛ばした。
 
 
 はだけた胸を覆い隠しもせずに先生の両手は顔を覆い、激しくかぶりを振った。
 くぐもった否定の言葉が手の隙間から漏れる。
「駄目、駄目なのよ」
 その声は身体と同じように震えていた。
「――先生」
 謝罪の言葉を告げようとした私は顔を覆う手を外して潤んだ瞳でじっと私を見つめる先生の視線に黙らされた。こんな風に先生が私を正面からしっかりと見つめてくれた事が今まであっただろうか?
 私は全身が心臓になってしまったかのようにドキドキした。
「――愛しているわ……」
 静かに涙を流しながら告げられた初めての愛の言葉に私の心は歓喜に震えた。
「せんせい……」
「あなたが言うように、私はあなたを愛しているわ。とても好きよ。でも――。
 だからと言ってこの恋を肯定してはいけないのよ」
「どうしてですか? 両思いなのにどうして私達は幸せになれないんですか?!」
 私が叫ぶように訊ねると先生は涙を拭って例の微笑を浮かべた。
「それは私が教師であなたが生徒だから」
「じゃあ私が別の学校へ行けば――」
 私の切り返しに先生は微笑を浮かべたままゆっくりと首を振った。そこにいるのは不安な顔をしたただの女性ではなくて“先生”の顔をした怜悧な女性だった。
「たとえあなたが他校へ転校しても、私が他校へ転勤しても私が教師でありあなたが高校生である事は変わらない現実よ。
 私はこの先定年するまで教師でい続けるつもりだし、私の人生設計を変更するつもりはないわ。だから最後の時まで私は自分自身に恥ない人間でいたいの。
 ――だからごめんなさい……」
「先生……」
 ああ、先生はやっぱり綺麗だ。こんなにも綺麗でそしてすべてに関してとても真摯だ。そして先生が先生であるがゆえに私は先生を好きになったんだ。そう再認識させられた。
 先生が今まで頑なに私を受け入れまいとしていた理由がわかった。先生の意見を尊重するならば私に出来る事は一つしかない。
 私は両の拳を握り締めながら振り絞るように応えた。
「判りました。――この恋を諦めます」
 先生のためにだったらきっと諦められる。だって先生を愛しているから。
「だから先生も学校を辞めたりしないで下さい。そしてもう私から逃げないで下さい。
 今日から私はただの一生徒です」
「海野さん……」
「先生が好き……でした」
 先生のはだけた胸をかき合わせて、ボタンをとめてあげる。外す時はあんなに簡単だったのにボタンをはめる手はみっともないほど震えていてなかなかはめ終わらなかった。
 先生も息を詰めて私の手を見つめている。
 これが先生に触れる最後なんだと思うと時がこのまま止まってしまえばいいと思わずにはいられなかった。


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