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 夢見るカラス

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夢見るカラス 4

 先生の言葉が私を縛る。
「――待って……」
 その一言に身動きがかなわない。せっかく決心した気持ちが簡単に揺らいでしまう。
 言葉に縫いとめられたまま見つめ続けていると、長い沈黙の後、ゆっくりと顔を上げて先生が言った。
「……諦めてと言っても聞いて貰えないなら、この身体を上げるわ。
 そんなたいそうないいものではないのよ。あなたは夢見ているだけなのよ……」
 どうして判り合えないんだろう。
 私は自分の言葉が何一つ先生に伝わらなかったのだと理解して思わず唇を噛み締めた。
 図書館や外では込み入った話が出来ないからと土曜の午後に先生の家に呼び出されて、諦めるように、間違いを正される為に、あるいは説得されるために、もしくは心のベクトルを無理遣り違う方向へ向けさせられるために、それを判っていて私ははるばる足を運んだ。
 だからその前に自分の気持ちだけはちゃんと伝えようとソファを勧めた先生をそのまま押し倒した。だってまた先生の口から私の思いを否定されたく無かったから。
 勘違いだとか憧れだとか思い過ごしだとかそういう言葉で片付けられたくなかった。なにも言わせないようにキスで先生の唇を塞ぎ、行動で私の気持ちを示した。
 なのに。
 先生は。
 それを若さゆえの欲望の暴走だとでも言うのだろうか。
 目の奥が刺すように痛み、熱い涙が溢れてくる。
 泣きたくはなかった。
 泣き落としと言われたくなかったから。
 でも、涙は止めようもなくて、ただ浅く呼吸をするのでさえ、胸が痛みに悲鳴を上げた。
 それでも先生から目を離す事が出来なくて見つめ続けていると、先生は困惑した表情のまま私から目線を逸らした。
 先生を困らせたくはなかった。
 気持ちを受け入れて欲しいけれど、受け入れないのが普通だともともと諦めていた。
 でも、どうしてなんだろう。
 先生は私を拒絶しない。
 だから私は諦める事もできずにそこに立ち止まってしまう。
 酷い言葉で、一言拒絶されれば、諦めがつく、簡単な事なのに。
 でも、そうしない先生が私はやっぱりたまらなく好きなのだ。
 私を傷つけたくないと思っている先生の気持ちが手に取るように判る。
 現実に身体を重ねてしまえば、魅力的だと思い込んで夢見ているものも色褪せるに違いない。その先生の考えが判ってしまった。
 先生の優しさにつけ込んで、私は先生を手に入れればいいんだろうか?
 先ほど抱き締めた先生の柔らかさと温かさをまざまざと思い出して私の喉が獣のように鳴った。
 先生に触れたい、先生の身体をくまなく愛したい。先生と一つに解け合いたい。
 その欲望は身体の中から湧き上がって尽きる事がない。
 けれども、それだけでは駄目だと私は知っている。
 先生が私を愛してくれない限り、その身体を手に入れても、もっと辛く空しい結果になることは火を見るよりも明らかだから。
 同じ言葉をもつ人間同士なのにどうして気持ちは伝わらないんだろう。
 私は首を振って言葉を振り絞った。自分の声が醜いほどに震えていて、恥ずかしい。
「――先生を愛しているんです。だから身体だけならいりません。
 私が欲望に突き動かされていると先生が思うのでしたら、もう二度と先生には触れません。
 さっきは本当にすいませんでした」
 リビングから廊下まで駆け抜け、玄関で靴を履いて先生のマンションを飛び出した。
 その空間はどこにいても先生の匂いがして何かにせき立てられるように熱くこみ上げてくる焦燥感が、そして胸に甘い疼きを覚える眩暈がするような陶酔が、私を私でないものにしようとしていたから。
 先生の肌に触れて胸に口づけるなんて、どうしてそんな事をしてしまったんだろう。
 先生に口づけた瞬間、私の中で何かが目覚めてしまったかのように、その衝動を自分で抑えることができなかった。


 それから私は目の中に飛び込んでくる先生を極力見つめないように努め、先生に触れないように、先生と話さないように努力を続けた。それでもふとした拍子に無意識に先生を見つめて、先生を捜している自分の視線に気づいて、息がつまるような思いをする。
 その度にそれほどまでに私は先生を求めて先生を愛しているのだと、思い知らされるから。
 そしてある日、図書委員長の私は、司書の先生からアユミ先生が学校を辞めるかもしれないという話を聞いた。
 司書の先生が介護のために定期的に休暇を取っているのは先生だけではなく生徒の中でも周知の事実で、その休暇中の代理の先生がいなくなるかもしれないから困ったというそれは愚痴めいた内容で、直接先生の名前や、具体的な辞める理由を聞いたわけじゃない。
 でも、今、校内に司書の代理が出来る資格を持っているのはアユミ先生しかいない。
 思わず私が司書の先生を問い詰めると、先生は「決定じゃない」「まだ生徒に知られていい段階じゃないから」と慌てて私に口止めをした。
 そして司書の先生を問い詰めてもそれ以上の情報を得ることも出来ず、気がついたら私は先生のマンションのインターフォンを押していた。
 先生に似合いの洒落た外観のマンション。
 オートロック式のエントランスで先生の部屋の番号を押す。もしかしたら門前払いを食らうかもしれないと判っていたけれど、頭の中には「どうして??」という疑問が渦巻いていて、冷静に物事を考えられるような状態ではなかった。
 応答した先生は僅かの逡巡を感じさせる沈黙の後、低い響きの良い私の大好きな魅惑的な声で、
 「どうぞ」
 と言って入り口のロックを解除してくれた。
 8階の先生の部屋までエレベーターで上がって部屋の前のインターフォンをまた押す。
 まるで扉の前で待っていてくれたようにすぐに扉が開いて私は中に招き入れられた。
 前に来た時には目に入らなかったシンプルな内装や柔らかな色合いで揃えられた家具が目につく。とても先生らしい居心地のよさそうな部屋だった。
 一人で住むには広すぎるような3LDK。もしかしたら過去に恋人と住んでいたのかもしれないと思い当たり全身から汗が噴き出す思いだった。胸の奥がちりりと焦げ付くように痛み、それが嫉妬だと思い至って息を飲む。
 迷惑をかけているただの片思いなのに先生の過去に嫉妬するなんて、おかしすぎる。自分に呆れはてて、ひどく情けなくなった。
 私がエレベーターで上がってくる間に用意してくれたのだろう。先生が洋菓子と紅茶を出してくれた。今度こそ勧められたソファにおとなしく座る。
「あの、また押しかけてすいません。私、その、お客様ではないので、お構いなく……」
 そのソファの上でしでかした事を思い出して頭に血が上っていた私はしどろもどろに謝罪した。
「その、ごめんなさい。迷惑だって判ってはいたんですけど、どうしても先生に聞きたいことがあって……」
 先生は向かいのソファに腰掛けると、問うような眼差しで小首を傾げた。長い艶やかな黒髪がさらさらと肩から流れ落ちる。その私の大好きな先生の仕草の一つに私は状況も忘れて見惚れてしまった。
 そう言えばいつからその仕草をする先生を見ていなかったんだろう。後期の初めからもう2ヶ月は見ていない。見ないようにしていたから。
「――海野さん??」
 先生の瞳が戸惑うように揺れてから伏せられて、私は自分が迷惑なほど先生を見つめすぎていた事に気づいた。
「あ、ご、ごめんなさい!」
 頭を下げてその勢いで言ってしまおう。
「先生、学校を辞めるって本当ですか?!」
 私の唐突な質問に先生はびっくりした顔をした後、ゆっくりと例のアルカイックスマイルを浮かべた。
 その時不意に私は気付いた。どうしようもなく私を惹きつけるこの不思議な笑みを、私は嫌っているのだと言う事に。先生の感情をすべて隠し切ってしまうその笑みを、本当は好きじゃなかったのだと言う事に。


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