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分岐点 1
大丈夫、とあなたはほの白い顔をうっすらと染めて、柔らかに私に笑いかけた。
それだけで私は身体の隅々に行き渡るめくるめくような幸福感に満たされる。
あなたの幸せ、それが私の幸せ。
《人魚姫》と呼ばれたその人は共学だったにも関わらず学年・性別を問わず学校中の生徒の憧れだった。
「いいよね〜、せめて同じ学年だったら姫と同じクラスになれたかもしれないのに……」
親友のリコが情熱的な眼差しを向ける。
伸びやかなほっそりとした手足、小麦色の肌、日に焼けて赤みがかかった茶色の波打つ髪は腰よりもずっと長い。
容姿の特異さもさることながら《人魚姫》はスポーツ万能、成績優秀であった。
まるで物語や漫画の中から抜け出してきたようなそのキャラクターで多くの女生徒の憧れであり、男子生徒をも焦がれさせた。
リコが彼女を陶然と見つけた時、八重子もまた一緒になって《人魚姫》をうっとりと見つめた。しかしそれは多くの女生徒同様、憧れ以上の気持ちではなかった。
「橘先輩が羨ましい……」
親友のリコは自分の思いを憧れではないと言い切っていた。それは同性愛と言うことなのだろうが八重子にはどうもピンとこなかった。
八重子の未熟な想像力ではリコが《人魚姫》に対してどのような生々しい気持ちを持っているか理解できなかったのだ。
「橘先輩か……」
その名前は意外とよく聞く。
八重子の属する華道部の先輩であるという事よりも《人魚姫》の親友であるゆえに、羨望と嫉妬がない交ぜになったような口調でその名前は多くの口に上った。
「橘先輩ってさ、中学の時はおとなしくて暗い感じだったって西中出身の先輩が言ってた」
その噂では一年の時に《人魚姫》と同じクラスになって、劇的に変わったのだという。
そして、誰もが多分気がついていた。それはうとい八重子ですらも。
橘と呼ばれる先輩は《人魚姫》に恋焦がれているという事を。知らないのは恐らく《人魚姫》本人だけだろう。それほどに《人魚姫》と呼ばれる少女はどこか浮世離れしていた。
二人が初めて出会ったのは20年も前だった。
高校の華道部の先輩と後輩。
初めはそう、気付かなかった。
先輩としてしか見ていなかったから。
憧れの人をいつも見つめていたその視界に常にあなたが居た。
そしていつしか私はあなただけを見るようになっていった。