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落 日 〜ただひとたびの〜 2
季節は晩秋。やはり放課後の黄昏時。
橘と広瀬の会話で翌日の休日に広瀬の家に遊びに行く事が決まった。
今までの広瀬の絵を見せてもらうのだという。
「もちろん舞利子も行くよね?」
舞利子は返事をためらった。確かに用事は無い。
彼女の所属する部活は文化部で休日の部活は無い。それは橘も同様だった。
ただ、彼女には恐れがあった。それは予感のようなもの。
「さっき暇だって言ってたよね?」
「あ、うん……」
「や、無理に来なくても……」
橘との会話に広瀬が逃げ道を作ってくれる。
そんなふうに広瀬はいつも淡々と喋った。気持ちの熱い人間なのに、それを裏切るように広瀬の声は透明で硬質な感じがする。冷たいような感情の薄い声。
結局橘に押し切られるように翌日の約束をした。
良く知らない、あまり話した事がない、クラスの違う人間の家へ遊びに行く。
そういう事情だけが自身の心を重くさせているのだと、その時舞利子はまだそう考えていた。
知り合ったばかりの頃、文化祭で広瀬の絵を見た。
どこか浮世離れした透明感のある絵。
「ちょっと不思議な感じのする絵だよね。広瀬っぽいっていうか。なんか好きだな〜」
橘の言葉に舞利子も声無く肯く。
恋人のいない二人は一緒に文化祭の展示を廻っていた。
「準備室の方のぞいて見ようか? きっと何か描いてるよ」
「え、こんな日に?」
「こんな日だから描いてるんじゃないかな〜?」
確信に満ちた橘の言葉に絵画の展示されている美術室の隣の準備室に顔を出すと橘の言葉通りに広瀬が窓際でキャンパスを前に筆を走らせていた。
柔らかな夕日に抱かれるようにそこに立っている。
「見に来てくれたんだ」
気付いた広瀬が振り返る。逆光で表情は見えなかったが声音と気配で笑っている事が窺えた。
「うん、凄くよかった!」
橘の明るい声が響く。
「あれってモデル“つづきちゃん”だよね? 彼女のふわんとした可愛らしさが出てて素敵だった!」
「あ、うん。なんか照れるな」
頭をかいて照れる広瀬に二人は笑った。静寂の準備室がにわかに賑やかになる。
橘の感情は素直で明快で子供のようだ。そこが橘の美点だ。舞利子には無いすべてを橘は持っている。橘は橘で舞利子は舞利子なのだからそれを羨ましいと思ったことは無い。
ただ純粋に好意を持っていた。
文化祭の最終日、一人で美術室に来て広瀬の絵を見ていた舞利子の背後から声がかかった。
「あんまり見るとあらが見えるからその辺にしてくれる?」
笑いを含んだ声に舞利子も口元を綻ばせて振り返る。
「私も好きだな、この絵」
「そっか、サンキュ」
二人でもう一度絵を眺める。
しばしの沈黙の後、呟くような言葉が舞利子の淡く色づいた唇からこぼれた。
「広瀬は……人をこんな風に描くのだな」
その言葉に広瀬ははっとして舞利子を見ると、彼女は遠いような眼差しで絵を見つめていた。その唇が更に言葉を紡ぐ。
「……優しい愛に、溢れてる……」
視線に気付いた舞利子が振り返ると広瀬は顔を真っ赤にして立ち尽くしていた。