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落 日 〜ただひとたびの〜 8
大学を卒業して就職して3年。同じ職場の同期の男性と結婚をする。
猛アタックをされた上押し切られるようにした結婚だったが毎日が修学旅行のようで楽しかった。新しい生活にはそれなりに苦労はあったが。
子供が出来たので10年近く勤めた会社を辞めて専業主婦になる。
子供は3人、夫はもうすぐ部長になる。
家は大きな一戸建てを持っている。
夫も子供も愛している。その愛情はとても深い。
誰もが羨む人生を歩んでいる。歩んできた。
でも、そう、舞利子には一番大事なものが欠けている。
黄昏時、子供たちと近所の公園から家路を辿りながらふと眩暈を覚える。
夕焼けに染め上げられた白い人の姿が脳裏をよぎるのだ。
もういない、彼女。戻れない歳月。
なのに心だけはあのまま遥か遠い時空の彼方へいつだって戻っていってしまう。
「ママ〜〜、早く〜〜」
先を行く子供たちが口々に舞利子を呼ぶ。俄かに現実へ引き戻された。
何時しか立ち止まって夕焼け空を眺めていた舞利子はゆっくりと歩みだした。
「――そうか、あれは恋だったのだな」
自分の声がじんわりと全身に染み渡る。
たった1度の恋、初恋。
この想いは消える事も薄れる事も無く生涯心に宿ったままなのだろう。
ふと橘の事を思う。彼女はまだ結婚をしていない。それどころかまだ1度も誰とも付き合ったことが無いのだ。多分、きっと、彼女もまだ、舞利子よりも重症な恋に囚われている。もしかしたら一生囚われたままなのかもしれない。
高校時代に広瀬の気持ちを知ったあの時、自分の事でいっぱいいっぱいだった舞利子を気遣ってくれたのは橘だったのに。なのに橘の想いの方がずっとずっと重かったのだ。なんて事だ。
彼女と橘の違いは大学時代にちゃんと失恋したと言う事だ。失恋とは厳密には違うかも知れないが、それでも過去の広瀬は失われてしまったと知らされた。
だから舞利子は次の一歩を踏み出せたのだ、――恐らく。
いつか、橘とまた、あの時の広瀬の話を出来たらいいな、とそう思いながら舞利子は子供たちのもとへ走り出した。
それを恋と呼べるならたった一度の恋、初恋。
その名も無き思いを恋と呼べないのであれば、生まれてから一度も恋をした事が無いと言う事になる。
生涯消える事の無い、その想い……。